【著者に訊け】高野秀行氏/『謎の独立国家 ソマリランド そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア』/本の雑誌社/2310円
エンターテインメント性に富むノンフィクションを志向し、一部に熱烈なファンを持つノンフィクション作家、高野秀行氏(46)にとって、〈実感〉は単なる旅の目的ではない。例えば最新作『謎の独立国家 ソマリランド』には、〈海賊国家プントランドにおいて海賊行為の実地取材を行った場合の収支見積もり〉なる表が載っている。
日本でもソマリア沖の海賊に関しては自衛隊の派遣が合法か否かで議論を呼んだが、海賊の実態を知るには海賊に襲われるか、海賊を「やる」しかない。そこで高野氏は実際に海賊を雇うといくらかかり、身代金はいくら、粗利はいくらと、実行可能なレベルまで計画を練った上で、〈霧にけぶっていた海賊の姿がはっきりと見えてきた〉〈すごいな、見積もり〉と書くのである。高野氏は語る。
「よく冗談だと思われるんですけど、本人は結構本気なんですよ。実際は捕まると困るのでやめましたけど、誰に話を通せば海賊を雇えるかもわかったし、何とかうまくやる方法はないかと、今でも思ってます(笑い)」
本書には、そうこうして実感した同地域の実像がつぶさに綴られ、ソマリア=内戦、難民といったイメージがイメージでしかないことに、改めて驚かされる。
アフリカ東北部に突き出た、いわゆる「アフリカの角」の一角に、ソマリランド共和国はある。国際的には存在を認められていない、旧ソマリア連邦共和国内の独立国家(1991年~)だが、各種武装勢力の抗争が続く同地にあって奇跡的に武装解除に成功したこの国を、高野氏は〈地上のラピュタ〉に擬える。あの『天空の城ラピュタ』のラピュタだ。
同じく旧ソマリア全体が〈リアル北斗の拳〉だとすれば、ソマリランドの東に隣接する海賊国家プントランドは〈リアルONE PIECE〉。その中で唯一欧米顔負けの民主主義社会と平和を実現する謎の国があると聞けば、〈「謎」や「未知」が三度の飯より好き〉な氏としては当然行かずにいられない。
「僕ら探検部の出身者でも、前人未踏の大自然にそそられる人間もいれば、文化や社会の仕組みに興味を持つ人間もいる。本当は考古学や文化人類学がやりたかった僕は、断然後者ですね。
それこそ中央銀行もないソマリアで独自の通貨が普通に流通していたり、机上の経済学や政治学では絶対にありえないことが、現地へ行くと平気で現実になっていることはよくある。レヴィ=ストロースの構造主義にしても、あれは発見というより、南米の人々のあり方から見出したもので、従来の常識や理論を軽く覆す力が現場にはあるんです。
そうした現場の現実が、心底腑に落ちるまで居座るのが僕のやり方で、本書に関しては2009年と2011年の2回、現地でカネが続く限り取材を続けた。国として認められていない国にどう入国すればいいのか、何の情報もないところから始めるのはいつものこと。現時点でソマリランド事情を世界で最も詳しく知れるのは、本書を日本語で読める日本人かもしれません(笑い)」
そこまで本音を聞き出せたのは、〈覚醒植物カート〉のおかげもある。ソマリア一帯はイスラム圏で飲酒は禁止だが、市場や路上では花束さながらに生のカートが売られ、毎夜繰り広げられる飲み会ならぬ〈カート宴会〉に、どんな秘境でも郷に入れば郷に従う高野氏が参加しないわけはない。
「いい具合に酔えるわりに、思考力や記憶力はより研ぎ澄まされる感じがあるんで、むしろ取材には酒より向いているんじゃないかな。元々議論好きなソマリ人はよくみんなで生のカートをバリバリ噛んでは大いに盛り上がり、中毒性は低いかわりに、唯一困った副作用が便秘! 南部ソマリアへ行って銃撃戦に巻き込まれた時も、僕は腹の方が死ぬ思いでした(笑い)」
(構成/橋本紀子)
※週刊ポスト2013年5月17日号