芸歴56年──そんな大御所の突然すぎる訃報だった。4月29日の深夜0時、東京・大田区の丸子橋から多摩川に身を投げて亡くなった牧伸二さん(享年78)。自殺とみられており、通夜と告別式は家族葬の形で、親族約20人のみが参列するひっそりとしたものだった。
その突然の死に、藤村俊二(78才)やミッキー・カーチス(74才)ら、生前親交のあった著名人が次々と追悼コメントを出す中、ひとりだけ沈黙を守る女性がいた。かつて牧さんの愛弟子だった泉ピン子(65才)である。
訃報の翌日に開かれた『渡る世間は鬼ばかり 2時間スペシャル』(TBS系)の取材会でも、ピン子は師匠の牧さんについて、一切触れることはなかった。彼女にとって、牧さんと過ごした日々は、“消し去りたい過去”のようなのだ。
芸能界に憧れて高校を中退し、「三門マリ子」の芸名で劇場の前座歌手として歌っていたピン子が、漫談歌手の道に入ったのは1966年、18才の時だった。牧さんが所属する事務所の社長に声をかけられたのがきっかけで、この時「泉ピン子」の芸名を与えられ、牧さんの付き人になった。しかし、それはピン子にとって、過酷すぎる日々の始まりだった。
「当時、牧さんはいわば神様のような存在で、誰も彼には逆らえませんでした。ピン子さんは雨のときでも傘をさすことすら許されず、牧さんの荷物持ちをさせられていました。地方キャバレーのドサ回りの際も、彼女には宿も用意されませんでした。寝泊まりはキャバレーの楽屋なんです。当時、ピン子さんはまだ20代。夜な夜なキャバレーの経営者が夜這いに来るので、ビール瓶を片手に、震えながら寝ていたそうです」(芸能関係者)
地方キャバレーでは、ピン子もステージに立った。ところが、漫談を披露しても、客からは「ブス、引っこめ!」と野次が飛び、テーブル上の料理を投げつけられることも日常茶飯事だった。
当時のピン子の給料は月8000円。住んでいた4畳半のアパートの家賃が8000円だったため、家賃を払うと一銭も残らない。付き人をする一方で、深夜に飲食店の皿洗いのアルバイトをしてなんとかしのいでいた。しかし、手元に残るお金はほとんどない。空腹のために眠れない夜も少なくなかったという。しかし牧さんは「そんなことは当たり前」といって、彼女を突き放した。
「牧さんは“芸人をつくるのには10年かかる”が口癖で、ピン子さんには苦労を味わってほしいという親心から、あえて彼女を助けなかったそうです。でも、そんな思いもピン子さんには伝わらなかったのか、“師匠は何もしてくれない”といつも嘆いていました」(前出・芸能関係者)
※女性セブン2013年5月23日号