4月29日の深夜0時、東京・大田区の丸子橋から多摩川に身を投げて亡くなった牧伸二さん(享年78)。その彼を師匠とし、18才のときから付き人をしていたのが泉ピン子(65才)だった。
だが、泉は雨の時でも傘をさすことすら許されず、牧さんの荷物持ちをさせられた。地方キャバレーのドサ回りの際も、彼女には宿も用意されず、キャバレーの楽屋で寝泊まりした。さらに給料は月8000円だったため、家賃の8000円を払うとお金が残らないため、深夜は皿洗いのバイトをしていた。牧さんは「そんなことは当たり前」と泉を突き放したが、泉は「師匠は何もしてくれない」と嘆いていたという。
泉は1983年、女優としてNHKの連続テレビ小説『おしん』に出演し、大ブレーク。同作の脚本家・橋田壽賀子さん(87才)に認められ、“橋田ファミリー”の一員として、ピン子はその後、橋田作品に数多く出演するようになる。が、一気に売れたことで、この頃のピン子は金銭感覚がマヒしていた。
「ブランドにはまってしまい、“全身シャネル”といわれるほどシャネルのバッグや靴を買いあさるようになって…。当時、ブランド品を買うために事務所に借金するのは当たり前で、貸すのを渋ると、“誰のおかげで事務所が食えてるんだ!”と怒りだしたそうです」(芸能関係者)
そんなピン子のことを、牧さんは「あいつは大丈夫か」といつも心配していたという。
だが、牧さんの付き人時代のつらい反動からか、ピン子のブランド品購入はやまず、1999年には事務所からの借金総額が3億5000万円を超えたとまで報じられた。
「堪忍袋の緒が切れた事務所側は、それ以上お金を貸すことを拒否し、肩代わりしていた自宅の公共料金の支払いもストップした。これに激怒したピン子さんは、師匠である牧さんにも黙ったまま、事務所を飛び出す形で独立したんです」(前出・芸能関係者)
しかも、ピン子は2000年4月、女性誌のインタビューでこの独立劇をこう告白した。
<ひとり立ちしなくちゃ…ということはずっと思っていました。(中略)自分の仕事のあり方を誰かに託すんじゃなく、切符を買うところから一人で始めてみたい>
金銭トラブルには一切触れず、一方的な言い分で独立を正当化したのだった。この一件が、ピン子と牧さんの関係を修復不可能にするきっかけとなった。牧さんの知人が話す。
「事務所の許可もなく、勝手に独立を発表したピン子さんに、事務所社長も牧さんもとにかく怒り心頭だったんです」
インタビューには、牧さんを怒らせる別の要因もあった。
「ピン子さんはインタビューの中で“自分にとって恩師は杉村春子先生”と言い、牧さんの名前どころか、漫談歌手時代の話が何ひとつ出なかった。これに牧さんは大きな失望を覚えたようで、“あまりにも恩知らずだ”と、彼女を破門にしてしまったんです」(牧さんの知人)
以来、ふたりは没交渉となり、2002年に牧さんが脳梗塞で倒れたときも、ピン子は見舞いにさえ訪れなかったという。
「独立からの13年間、ふたりは完全に絶縁状態で、ピン子さんはあの下積み時代の日々を消し去るかのように、牧さんの名前を口に出すことすら嫌がっていました。あの人のことは絶対許さないっていう思いがずっと心の奥深くに残っていたんでしょう」(前出・芸能関係者)
※女性セブン2013年5月23日号