中国の「改革・開放の総設計士」といわれ、1970~90年代にかけて最高実力者として君臨したトウ小平氏(1904~97年)の孫が地方の副県長(日本の行政区分では市の助役に相当)に就任していたことが分かり、中国のネット上で話題を呼んでいる。副県長といえば、広大な中国では末端幹部だが、まだ28歳の若さ。習近平国家主席も同じ年齢で、河北省の県幹部として赴任しているだけに、早くも「30年後の最高指導者」との声も出ている。
このトウ小平氏の孫はトウ卓棣(とう・たくてい)氏で、トウ小平氏の5人の子どものうち、二男のトウ質方氏の長男。トウ質方氏が米ニューヨーク州のロチェスター大留学中の1985年生まれた。
卓棣氏は9年前の2004年、中国メディアのインタビューで、北京大学法学部で学んでいることを明らかにしたうえで、祖父のトウ小平氏について「最も影響を受けたのは、(トウ小平氏の趣味だった)トランプのブリッジで、北京市青年隊のなかでも戦績は非常に良好」とユーモアあふれる話題を披露していた。
卓棣氏は北京大卒業後、米東部アイビーリーグの名門デューク大の大学院に留学、法学を学び修士課程を修了。米ニューヨークのウォールストリートにある法律事務所で働いていたと伝えられる。
現在は広西チアン族自治区百色市平果県の副県長を務めていることが地元政府によって確認されている。
百色市は1921年、トウ小平氏が共産党軍の幹部と軍を率い軍事蜂起し、本格的に共産革命闘争に身を投じた「百色起義(蜂起)」の現場だけに、卓棣氏にとっても因縁深い地域といえよう。
卓棣氏の県政府での担当はトウ小平氏の孫らしく「改革の発展」に加えて、物価、法制度整備、農業問題、貧困問題といった同県の重要問題を任されている。県幹部によると、卓棣氏は知識が豊富で、能力は突出しており、自分が目立つことは好まず、謙虚で真面目、注意深く勤勉で勉強好きとほぼ満点で、いわば“公式見解”といえそうだ。
しかし、自身がトウ小平氏の孫であるためか、卓棣氏はメディアの取材を一切受けないという。
これについて、中国問題に詳しいジャーナリストで、『習近平の正体』(小学館刊)の著者もある相馬勝氏はこう指摘する。
「習近平主席も『幹部は自分の名前を宣伝する必要はない』という主張の持ち主。メディアのインタビューを一切拒否してきたことを自慢しており、卓棣氏と共通している。父と祖父の違いはあるが、両者に共通しているのは、党最高幹部の血筋を受け継いでいることで、その生きざまが2人の人生に多きく影響しているのは間違いない。ネットで話題になっているように、卓棣氏の党幹部としての道のりが順調にいけば、習主席のように、最高指導者に上り詰める可能性も秘めている」