【書評】『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』村上春樹/文藝春秋/1785円
【評者】末國善巳(文芸評論家)
発売前から話題を集めた村上春樹の新刊がついに刊行された。この奇妙な題名は、主人公・多崎つくるの高校時代の友人4人の名前に色が入っていることと、作中に重要なモチーフとしてリストのピアノ曲『巡礼の年』が登場し、成長したつくるが、昔の仲間を訪ねる旅をすることに由来している。つまり、作品世界を端的に表現したといえる。
名古屋の高校に通うつくるは、男の子のアカとアオ、女の子のシロとクロの5人で、調和のとれた完璧な共同体を作っていた。ところが、ひとりだけ東京の大学に進んだつくるは、20才のときに4人から理由も告げられず一方的に絶交を宣告されてしまう。
ショックを受けたつくるは自殺を考えるほど追い詰められるが、やがて死への願望を乗り越え、心身とも別人になるほどの変貌を遂げて復活する。
それから16年、希望通りに駅をつくる技術者になったつくるは、2才年上のガールフレンド・沙羅に、今こそ絶交された理由を調べるときだといわれ、レクサスのディーラーになったアオ、自己啓発セミナーの会社を経営するアカ、そしてフィンランドに住むクロを訪ねる“巡礼”を始める。
故郷の神戸も大きな被害を受けた阪神・淡路大震災と、オウム真理教の無差別テロに衝撃を受けた著者は、笑顔で近づき知らないうちに自由意思を奪ってしまう“悪”とどのように向き合うべきかを題材にした『海辺のカフカ』『1Q84』などを発表した。本書にも、システマティックに人を企業に順応できるよう作り変える仕事をしているアカへの違和感という形で、現代社会にはびこるオウム真理教的な“悪”への批判が盛り込まれている。
ただそれ以上に強調されているのが、心に深い傷を受けようと、近くに“悪”がいる絶望に直面していようと、勇気を出せばどんな弱く小さな個人でも再生できるというメッセージである。
鉄道会社に勤めるサラリーマンで、友人たちのように色を持たない自分を“空っぽの容器”と考え、疎外感を抱えているつくるは、特徴を持たないがゆえに読者に近い等身大の存在となっている。それだけに、つくるの苦悩と新たな一歩を踏み出す決断がよりリアルに感じられるはずだ。
旅の途中で友人の死を知ったつくるは、ラストに生き残った者の責務を痛感する。その意味で本書は、東日本大震災で亡くなった人たちの無念を、どのように生かすのかを問う震災後文学になっていることも忘れてはならない。
※女性セブン2013年5月23日号