【書評】『狭小邸宅』/新庄耕・著/集英社/1260円
【評者】福田ますみ(フリーライター)
20坪前後の土地に建てられたいわゆる狭小住宅。正面から見ると鉛筆のように細長く見えるため、“ペンシルハウス”とも呼ばれる。その薄っぺらい外観から一見安普請に思えるが、都心に近い物件なら6000万円は下らない。それを大枚はたいて購入する側からすれば、まさしく“邸宅”と呼びたい心境だろう。
主人公の“僕”は一流大卒なのに、なにを間違えたのか、中小不動産会社の営業マンになった。不動産屋はヤクザな商売とはよくいわれるが、満面の笑顔にもみ手、最敬礼で客を送り出したその後に、こんなブラックな会話が続くとは知らなかった。
「てめぇ、冷やかしの客じゃねぇだろうな。その客、絶対ぶっ殺せよ」
「はい、絶対殺します」
殺す。客を落とすとか、買わせる意味で使われるそうだ。
ほとんどの人間にとって家は、一生に一度か二度の大きな買い物だ。大学出たてのぺえぺえ社員にそう簡単に売れるわけがないのだが、この世界では、入社以来一軒も売れない“僕”のような営業マンは人間扱いされない。
客をモデルハウスに案内した後は、店舗に来社させて上司に対応させるのが会社の至上命令だ。失敗すると一日中罵声を浴びせられるので、新入社員は死に物狂いで、半ば強引に客を店舗に連れ込む。それで契約にこぎつければ、案内した社員の得点になるのだが、それすらおぼつかない。
カレンダーを丸めた紙の筒で横っ面を張られ、足蹴にされる毎日。
戦力外通告を受け異動命令を受けた“僕”は、異動先で腹を括る。ずっと売れ残っていた物件をなんとしても売る覚悟で、猛暑の中、物件の看板を掲げて毎日駅前に立つ。要するにサンドイッチマンだ。朝から晩まで汗みどろになって立ち尽くしていると、朦朧とした意識の中、まず意地や見栄が消え、恐らく家を売る意味も働く意味さえも消え失せて、不思議な心地よさに浸る。そんなときに客から声をかけられ、初めて成約に至るのだ。
それでツキを呼び込んだのか、“僕”はその後はとんとん拍子に売れ続けるが…。
過酷な不動産営業の世界に反発して辞表を叩きつけるわけでもなく、さりとて、売れたからと豪遊をするでもない。主人公の没個性的な立ち位置が、現代の若者の恬淡とした職業観を映しているようだ。
※女性セブン2013年5月30日号