就職活動の開始時期を遅らせる案をめぐり、政府や経済界で賛否両論が沸き起こる中、来春卒業予定の大学生の中には早くも内定や内々定をもらった人が出始めている。
だが、「上場企業入りのパスポートを得た『勝ち組』は全体のほんの一握り。しかも、相変わらず“大学ブランド信仰”は根強い」と話すのは、5月20日に『非情の常時リストラ』(文春新書)を上梓するジャーナリストの溝上憲文氏。
これまで数多くの人事担当者を取材してきた同氏が、企業側から見た「学歴重視の本音と建前」を明かす。
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新卒採用の人事担当者に話を聞けば、決まって「いろんな大学から優秀な学生を集めたい」と答える。それは本音だろうが、実態はなかなか伴わない。大手総合商社でさえ100人程度の厳選採用を続ける時代にあって、就職サイトにエントリーしてくる学生は数万人規模。とても全員を面接している余裕などないから、機械的にふるいにかける必要がある。
そこで「学歴フィルター」なる選別が行われる。とある金融機関では、東大・京大などの旧帝大、早稲田・慶応・上智クラス、そしてMARCH(明治・青山学院・立教・中央・法政)クラス以外の学生は会社説明会にすら申し込めず、サイト上で「満員で予約できません」との表示が出る仕組みになっているという。同行の人事課長は、「上位校の学生で固めたいとは思わないが、質の高い学生が多いのも事実」と打ち明けた。
特に銀行は人材の囲い込みに躍起になっている。かつて金融危機で公的資金がつぎ込まれた時代に優秀な学生を逃した反動だろう。採用実績校のOB・OG社員(リクルーター)を大量動員し、学生と直接コンタクトを取って早期に内定を出すような選考もやっている。
一方、「わが社は学歴不問です」と謳っているような企業も、自然と一流校に絞られてくることを知っている。英語を含めて基礎学力を見る筆記試験をやれば、高得点を叩き出すのは東大、一橋、早稲田、慶応などの順。大学の入学偏差値と変わらない結果になる。また、とある大手商社の人事課長はこんなことも言っていた。
「面接で学生時代にどんな勉強をしてきたかを聞けば、学部や専攻、指導教授の名から大学名が推測できます。その他、体育会系で『関東大会で連続優勝しました』とか、『高田馬場の吉野家でアルバイトをしてました』など、こちらから大学名を聞かなくても、学生のほうから大学名を匂わす発言も出てきます」
最終面接で残った一流大学の学生たちの中に、日東駒専(日本・東洋・駒澤・専修)クラスの学生が残っていたとしても、見劣りしてしまううえに本人がガチガチに緊張してうまく自己アピールできないケースも多い。そうして、結果的に一流大学に内定を取られてしまうのだ。
そんな中堅大学に代わって「学歴の秩序」をブチ壊す存在になってきたのが、新設大学である。例えば2000年に開学した立命館アジア太平洋大学(APU・大分)は、外国人留学生も多い国際大学。偏差値は50~55しかないが、これまで大学ブランド信仰の強かった三菱重工業や新日鐵住金、住友化学といった財閥系や重厚長大産業の採用数を伸ばし続けている。
APUだけではない。2004年に開学した国際教養大学(秋田)も、英語のみでディスカッションの授業を行うなど、グローバル人材の養成を掲げて100%の就職率を誇る。大手石油会社の人事担当者は「全員が海外留学して帰国後はTOEICが900点を超える。自分もこんな大学に行きたかった」と舌を巻いた。
今後、新設校も含めた大学改革や競争により、学生の特色や成績が評価に値するような採用基準になっていけば、大学ブランド偏重の傾向も薄らいでくるかもしれない。大手食品メーカーの人事部長は、「ウチは早稲田からはたくさん採らない。同じ大学カラーの社員ばかりでは、会社が危機的状況になったときにリスクが大きい。違う大学から違う個性を持った学生が欲しい」と話していたのが印象的だ。
一流大学なら誰でも大企業に就職できる時代ではなくなっていることは事実。メーカーは技術系の採用が多いし、女性の管理職を増やすべく女子学生の採用比率も高い。さらに、海外の学生を日本の本社で採用したり、現地採用も当たり前の時代。前述の三菱重工はアメリカ、イギリス、オーストラリア、シンガポール、韓国などでの採用を実施している。理系、女子学生、海外学生の採用増により、男子の文系学生は一流大学でも就職はますます厳しくなるだろう。
景気回復が本格化すれば、企業の採用数も大幅に増えると考えるのは甘い。バブル時代に大量に採用した社員のリストラに苦慮する企業が、業績回復したからといってたくさん採用する状況にはなりにくい。日本企業の利益のほとんどを海外市場に頼る中、稼いだ市場で人材を採るのは当然との声もある。
厳選採用がいま以上に厳しくなれば、最終的に日本本社で雇う人材は、経営幹部になりそうなエリートだけでいいと考える企業は増えるだろう。大選別社会の到来。果たして旧来の学歴価値はどこまで通用するのか。ますます疑問である。