日中が国交を正常化した1972年から1980年代にかけては、中国国内にあるシンクタンクでは、日本研究が花形だった。その空気が一気に変わったのは、1990年代に入り、江沢民政権が反日に転じてからのこと。以来、日本研究を生業とする人たちは肩身の狭い思いをする日々だ。
産経新聞の中国総局で長く記者を務めていたジャーナリストの福島香織氏はこう指摘する。
「かつては政治でも、日本のシステムを参考にしようという考えがあった。自民党支配の仕組みや経済政策、都市化政策、環境政策など、中国にとって参考になるのは圧倒的に日本であるという自負が日本研究者にはあった。ところが今では、完全に非主流になり、出世コースからも外れてしまっている。日本研究者たちは『日本を手本に』などとは口が裂けても表立って言えないし、研究予算そのものも減らされているのが現状です」
それだけではない。
「中国国内で開かれる日本研究のシンポジウムでは、発言者である学者たちは、話を始める前に『釣魚島は中国の領土であり、日本の帝国主義は許せない』と自分の立場を明らかにするのが当たり前になっている。それをしないと攻撃されるような雰囲気があるからです」(北京特派員)
かつて花形だった知日派はすっかり日陰者になり、今では発言するにも反日という“踏み絵”を踏まされるのである。日本語を学ぶ大学生も減り、このままでは若い知日派が消滅してしまう懸念さえある。
あるシンクタンクで日本研究を担当する人物は、「今こそ日本に学ばなければいけない」と強調する。
「中国はPM2.5による大気汚染やカドミウム汚染による痛痛病など、多くの環境問題に直面していますが、それらはかつて日本が経験し、解決してきたものばかり。日本が蓄積している経験や技術に学ぶのが一番の近道なのに、“敵国”に頼りたくないという感情論にこだわるあまり日本の技術協力に消極的で、患者を増やしている。『国民の生命』より『国家のメンツ』を優先する政府に失望しています」
知日派コラムニストの劉檸氏によれば、ほとんど決まりかけていた日本関係本の出版が、尖閣諸島の国有化を機に再検討にかけられ、延々と出版が決まらずに頓挫するケースが相次いでいるそうだ。それでも、劉氏はこう話す。
「私は親日派というわけではないが、今後も、これまで通り“知日派”としてやっていきたい。理性的な意見を出し続けることで、中国人の対日観を長いスパンで改善していくしかないと思っている」
肩身の狭い思いをしている親日派、知日派の中国人たちが、堂々と発言できる日は来るのか。
※週刊ポスト2013年5月24日号