中国共産党トップの座に就いて半年間の習近平の言動からすると、彼が目指す政治スタイルは、ずばり「21世紀に現われた毛沢東」だ。
同じ世代の熱狂的な毛沢東信者といえば、やはり太子党(高級幹部子弟)勢力の中心人物だった元重慶市党委書記の薄熙来がすぐに思いつく。彼がスキャンダルで失脚する前、重慶市で、毛沢東賛歌である革命歌の熱唱運動「唱紅歌」を推進した様は、あの文化大革命を彷彿とさせた。
それに対して習近平は寡黙なイメージが強く、野心家で大衆受けする過激な言動を好んだ薄熙来とは正反対の党幹部とみられがちだ。
しかし、習近平が感受性の強い10代から20代にかけて毛沢東思想に大きな影響を受けたことは否定できない。彼は当時、毛沢東が打ち出した方針に従って知識青年として陝西省の片田舎に下放され、そこで毛沢東語録を暗唱し、彼の教え「農民から学べ」を体現しようとした。一人娘に毛沢東から一字を取って習明沢と名付けたことからも毛への傾倒がうかがえる。
習近平と薄熙来は同年代で同じ時期に下放された。そこで毛沢東の政治スタイルを刷りこまれたのだろう。習近平は昨年秋の党大会直後、政治局常務委員たちに「私は毛沢東思想を決して捨てない。それは党の根本思想を失うことになる」と強調した。
昨年12月には初の地方視察で広東省を訪問し、旧ソ連邦崩壊の最大要因は「レーニンやスターリンの教えに背いたからだ」と指摘した。最近の党政治局会議でも「改革・開放路線の成功をもって、それ以前の(毛沢東の)時代を否定すべきではない」と主張している。
中国の著名な政治学者で作家でもある呉祥来は「習近平は改革派で開明的な習仲勲の息子であることに誇りを持つべきだ。あなたは毛沢東の息子ではなく、習仲勲の息子である」と語り、習近平の毛沢東礼賛を暗に批判した。
■文/ウィリー・ラム、翻訳・構成/相馬勝
※SAPIO2013年6月号