低迷を続けるフジテレビが決断した。5月15日、新しい代表取締役社長に亀山千広・常務取締役(56)が就任すると正式発表した。亀山氏といえば『踊る大捜査線』のプロデューサーを務め、ドラマ・映画共に大ヒットをもたらした人物。実績・知名度ともに十分な人物である。
しかしこの人事にはもうひとつの大きな意味がある。『東京ラブストーリー』などトレンディドラマのヒットを連発、「フジテレビのエース」として制作のトップに君臨してきた大多亮・常務取締役(54)の「敗北」である。
亀山・大多両氏は、昨年6月の人事でともに常務に昇格、同時にフジテレビの親会社であるフジ・メディア・ホールディングスの取締役に選ばれた。フジテレビ社員がいう。
「この時点で次期社長レースはこの2人に絞られたといわれていた。若い頃から両氏は熾烈な出世レースを繰り広げてきました。2人の頭文字をとって、“OK牧場の闘い”なんていう人もいた。
2人の対抗心はもの凄く、亀山さんは酔えば“大多さんのドラマ作りはバブルの時代でしか成立しない”といっていたし、大多さんも“現場の気持ちは俺のほうがわかる”と、若い頃にディレクターなど現場を経験していない亀山さんを意識していた。
しかし、どうみても社長候補最右翼と目されていたのは大多氏だった。あの若さ(当時53歳)でこのポストにつくのは異例中の異例でしたからね」
この下馬評は、両者の担当部門によるところも大きかった。亀山氏が「総合メディア開発・映画事業・メディア推進・コンテンツ事業担当」だったのに対し、大多氏は「編成制作・美術制作担当」。つまりテレビ局の核となる番組制作・編成の実権を握ったのは若い大多氏だったからだ。
折しも、フジテレビの視聴率は凋落の一途をたどっていた。2010年までは7年連続で年間視聴率3冠王を記録していたが、2011年には日テレにその座を奪われ、『相棒』『お試しかっ!』などのヒットを連発するテレ朝にも追い抜かれようとしていた。
そこで「切り札」として投入されたのが大多氏だった。プロデューサー時代の1980年代後半から1990年代にかけ、『東京ラブストーリー』『101回目のプロポーズ』『ひとつ屋根の下』など、視聴率30%超の大ヒットドラマを立て続けにプロデュース。ライバル局の幹部も「フジが早急にテコ入れに打って出た」と警戒を強めていた。
大多氏も本気だった。「フジテレビらしさを取り戻す」(『週刊現代』のインタビューより)と号令をかけ、一気呵成に新企画を連発したのである。
しかしこれが裏目に出た。大多氏の強いプッシュで開始したバラエティ『アイアンシェフ』が大コケ。伝説的番組『料理の鉄人』のリバイバルだったが、初回以降は視聴率10%に届かないどころか、5%以下の超低空飛行を続け早々に打ち切りとなった。
同番組のみならず、大多氏の「本職」であるドラマ部門も散々だった。鳴り物入りの先クールドラマ『dinner』が平均視聴率10%にすら届かず、他のドラマもボロボロ。また、鈴木保奈美や山口智子、江口洋介といった“昔なじみ”ばかりをキャスティングしたことも、「まるでお友達内閣」と批判を招いた。
「オリジナル脚本ものでヒットを飛ばしてきた人だけに、常務就任当初は“もうコミック原作には頼らない”と意気軒昂に宣言していた。それなのに、いつの間にか全て自分の栄光の時代のリバイバル頼み。W浅野を復活させて『抱きしめたい!』をやろうとか、もうスタッフも呆れていました。
“もう大多ではダメだ”と大多さんの味方はどんどんいなくなった。亀山さんが社長になれたのは、いってしまえば大多さんが“勝手にコケた”からにほかならない」(別のフジテレビ社員)
一方、亀山氏は映画で安定したヒットを連発。
『踊る大捜査線』『海猿』の続編に加え、『テルマエ・ロマエ』は興収60億円の大ヒットとなった。ライバルが指揮をとった番組が軒並み視聴率低迷に喘ぐなか、いまや会社の屋台骨を支えるまでになった映画部門を率いる亀山氏に、フジ上層部の期待が集まったのも無理はないだろう。
※週刊ポスト2013年5月31日号