安倍内閣をまとめ上げ、今や「内閣の屋台骨」との高評価受ける菅義偉(すがよしひで)・官房長官。そのルーツはどこにあるのか。
小、中、高の同級生で、現在は秋田県湯沢市で商店を営む伊藤英二の話からは、現在の政治家・菅の片鱗が垣間見える。
「喧嘩の仲裁役になることが多かった。義偉が間に入ると、なぜか喧嘩している奴も勢いをなくすんだよね。で、拳をおろして話し合いになるんです」
菅は湯沢高校を卒業した1967年に上京する。自らのHPのプロフィールで〈「東京で自分の力を試してみたい」と思い立ち、集団就職で上京〉と記しているが、高度経済成長下で「金の卵」と呼ばれた、中卒で就労した農村の子弟たちとは立場が違うようだ。
「北海道の教育大学を受けたけど不合格で、やることもないので東京に出て行ったんじゃないかな。家業を継ぐにしても農業が厳しい状況だったので、父親も賛成したと聞いています」(当時を知る菅家関係者)
現代風にいうならば“自分探し”の上京というほうがしっくりくる。菅は上京後に段ボール工場に住み込みで働きながら勉強し、それから2年後に法政大学の夜学に入学する。その苦学生時代に政治家の道を志すことになったのだから、“自分探し”は大成功だったといえよう。
(文中敬称略)
※週刊ポスト2013年5月31日号