今や「安倍内閣の屋台骨」とまで評価されている菅義偉(すがよしひで)。去る3月11日、天皇・皇后の出席の下、政府主催の東日本大震災の2周年追悼式典が行なわれたが、この時にある“事件”が起きた。
日本維新の会を代表して出席する予定だった同党議員団幹事長の松野頼久が遅刻し、献花ができなかったのだ。松野は党内で「政府の対応に不備があった」との言い訳をして、責任を式典の責任者である官房長官の菅になすりつけた。
とはいえ、他党の代表者は全員が時間通りに出席し、献花をしたのだから、松野にだけ連絡が滞ったとは考えにくい。だが、菅は売られた“喧嘩”に応戦するどころか、「こちらに落ち度があった」と維新の会に説明し、松野の顔を立てた。
「予算案など、維新の協力が必要なタイミングで関係が悪くなるのは得策ではない。菅さんは“これで貸しをつくれる。この程度の批判なら、濡れ衣でも構わない”と考えてそうした行動に出た」(官邸スタッフ)
こう見ると、「最強の官房長官」という評価は、決して大袈裟なものではないのかもしれない。
だが、それらの評価は相対的なものでしかない。議論や政争の「仲裁役」、あるいは嫌がる役割を引き受ける「汚れ役」にしても、あくまで周囲の政治家たちと「違う」ことが評価されているに過ぎず、菅の絶対的な評価ではない。“俺が、俺が”という政治家たちの調整役に徹することが菅の政治哲学だとするなら、自らが立案した政策を実現させるという「与党政治家の醍醐味」を放棄しているとさえいえる。
師と仰いだ梶山静六は、橋本龍太郎内閣で「名官房長官」と呼ばれたが、総理総裁を目指した総裁選では小渕恵三と争って敗れ、政界を引退した。菅の初当選時から交流のある政治ジャーナリストは、「菅氏は梶山氏のように“総理を目指す”という決断は間違ってもしない。だから安倍首相は、彼を信頼して要職に使っている」と語る。
無論、心中に“ポスト安倍”の野心がないとは言い切れないが、“永遠の汚れ役”として政治家人生をまっとうするつもりであるならば、今以上に菅の評価が高まることはないのかもしれない。
「インタビューしても全く面白いことをいわない。一字も記事にならない。オフレコの懇談ですら絶対に失言しない」(政治部記者)という菅が、自分の政治思想を語ることはあるのだろうか。
(文中敬称略)
※週刊ポスト2013年5月31日号