春ドラマで顕著な“ある傾向”について、作家で五感生活研究所代表の山下柚実氏が分析する。
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テレビドラマの表現をめぐって、「自主規制がじわりと広がっているのでは」という指摘があります。事の発端は、東海テレビ制作の昼ドラ『幸せの時間』(2012年11月~12月)。
女子中学生が制服を脱ぐ場面や性表現の演出等が過激だと話題になり、苦情殺到。放送倫理・番組向上機構(BPO)が、放送局に対して公共性を自覚するよう促しました。テレビドラマについてBPOが言及するのは初めて、ということもあって、大きな注目を集めました。今、その余波が制作現場にじわじわ広がってきているらしいのです。
「東京のある局のドラマ担当プロデューサーによると、『幸せの時間』の問題が起きて以来、社の上層部が性的表現で過敏になり、放送するはずだった部分を他の映像に差し替えるといったケースが増えているという」(東京新聞 2013年5月21日)。
記事は、自主規制でくさい物にフタするのではなく、もっと議論を深める必要がある、という趣旨でした。記事を読んで、ちょっと不思議な気持ちに。というのも、今オンエア中の春ドラマの、ある「傾向性」が頭をかすめたからです。この新聞記事が伝えている方向性とは、逆の方向性にも見える風潮について。
「女性が男性の裸を見ることに違和感がなくなってきている。春ドラマは、そんな女性の要望に応えてくれている」「『ダブルス』(テレビ朝日系)の初回なんて、“男の裸を見ていただくドラマです!ってテロップが出そうな雰囲気」(NEWSポストセブン)といった指摘が相次いています。
そう、「ドラマの中で男たちが脱ぐ」風潮。伊藤英明と坂口憲二の全裸シャワーシーンが毎回出てくる『ダブルス』だけじゃない。『ラスト・シンデレラ』も『家族ゲーム』『八重の桜』も。シャワーを浴びたり、お風呂やサウナに入ったり。男の裸を強調するシーンが、たしかに前よりがぜん増えています。
「男」たちが一糸まとわぬ姿になって衆人に環視される、そんな時代の到来と言えるのかもしれません。
片方では、「性的表現で過敏になり、放送するはずだった部分を他の映像に差し替え」、濡れ場シーンも減少傾向と言われているドラマの制作現場。その一方で、女の裸はダメだけれど男の裸は祭り状態というか裸三昧というか。別の突破口から裸への欲求が噴出してきている観があります。
登場する男性の姿・形には、当然ながらキビシイ要求がつきつけられます。身長は一定水準を超えることが絶対命令。二の腕は、盛り上がる筋肉がなくてはならない。胸板は厚すぎても薄すぎてもダメ。マッチョすぎるのは時代にそぐわない。適度に甘く優しいマスクも要求される。頭の中がどうかなんて無関係。ただひたすら、姿・形について細部にわたって品評される。
オブジェ化。
それは長いこと女たちが通ってきた道です。その過酷な道に、いよいよ男たちも深く踏み入る時代。もちろん、昼ドラ『幸せの時間』で問題になったのは、未成年の女子中学生が制服を脱ぐシーンだったので、同質の問題とはいえないでしょうが、ポイントは男たちが「見る」側から、「見られる」側へとシフトチェンジしたこと。
なめるようなカメラワークで、男の裸体のアップシーンを見ると、どんな気分になるのか。居心地が悪いのか、ムズムズするのか、何てことないのか。お茶の間の「男性」視聴者たちに、そのあたりの感想を素朴に聞いてみたい気がします。