外では「うつけ」のふりをしながら、妻である篤姫だけには本当の姿を見せた徳川家定。宮崎あおい主演の大河ドラマ「篤姫」で、堺雅人が演じた第13代将軍家定は「うつけ」ではないという新解釈でドラマが展開された。今までの通説と異なるこの解釈は、非現実的なものだったのか。みずから歴史番組の構成と司会を務める編集者・ライターの安田清人氏が、徳川家定の「うつけ」評価について考察する。
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平成20年のNHK大河ドラマ〈篤姫〉は、主人公篤姫の夫で13代将軍家定が「うつけ」のふりをしていたという設定であった。家定が「うつけ」だったとの記録は確かに残っているが、ヒロインの相手役が「うつけ」では、確かに体裁は悪かろう。
江戸城大奥に暮らす御台所たる篤姫は、幕府が滅び、追い立てられるように江戸城を去るまで、ほとんど大奥から出ることなく過ごした。日常的に顔を合わす相手も、実際には夫の家定か奥女中くらいのものだったろう。その夫が「うつけ」では、話の盛り上げようがないのはよくわかる。しかし、こうした「歴史の改変」は許されるのか。
家定をどう描くかについては、番組制作スタッフと時代考証担当者との間でも議論があったらしい。〈篤姫〉の時代考証を担当した大石学氏(東京学芸大学教授)によれば、実は家定は「うつけ」ではなかったという説もあるという。
家定の時代に大奥の女中を務めた佐々鎮子という女性が、明治中頃に東京帝国大学史談会のインタビューを受けている。そのなかで彼女は、家定は疳癪もちではあったものの、能を舞ったり父親の12代将軍家慶の看病をしたりと、日常生活に支障はなかったと証言している。
勝海舟も、家定は思慮深い人物だったが、家臣が後継をどうするかについてうるさく進言したためにうつ病になってしまったと書いている。
大石氏によれば、家定が「うつけ」だとする説も、そうではなかったとする説もあり、その中間とでも言うべき説、すなわち「うつけ」ではなかったが、ペリーの黒船来航という国難に将軍として向き合うには力量不足であったとみる説もあるという。〈篤姫〉では、この2番目の説を採用したということなのだ。
■安田清人(やすだ・きよひと)/1968年、福島県生まれ。月刊誌『歴史読本』編集者を経て、現在は編集プロダクション三猿舎代表。共著に『名家老とダメ家老』『世界の宗教 知れば知るほど』『時代考証学ことはじめ』など。BS11『歴史のもしも』の番組構成&司会を務めるなど、歴史に関わる仕事ならなんでもこなす。
※週刊ポスト2013年5月31日号