テレビの黄金時代に放送された伝説のバラエティー番組『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)。放送開始から30年以上経った今でも第一線で活躍するタレントを数多く輩出したこの番組で、多彩なキャラクターを演じた片岡鶴太郎(58才)と、名物ディレクター・三宅恵介(64才)さんが“笑い”の作り方を語る。
三宅:ありがたかったのは、ぼくらは方向性だけ決めておけば、演者さんたちがみな台本を踏み台に笑いをもっとひろげてくれたこと。スポーツにたとえれば「きょうは陸上のトラック競技でいこう」というあたりまではぼくらが決めるんだけど、100m走なのか800m走なのか距離は演者さんまかせだった。
片岡:演者同士が互いに刺激し合って、それぞれに「オレはこうしよう」ってアイディアが浮かび、それが化学反応を起こして笑いが増殖する。それを生け捕りにするように新鮮な形で、お茶の間に送り出していたんでしょうね。
三宅:今の番組は生放送でも予定調和だと感じます。ディレクターも演者も台本通りに持っていこうとする。走ってみなきゃわからないという面白さは減ってますね。ぼくらはむしろ、ハプニング的に生まれた笑いを翌週以降にどうつなぐかを必死に考えていた。
片岡:九官鳥のキューちゃんもそう。『FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島』(1987年、現『FNS27時間テレビ』)で、ぼくは五島列島(長崎県)からレポートする役だったんです。眠くてしょうがないのに明け方に「そっちはどう?」と中継がつながって、反射的に「キューちゃん! おーはよ!」って九官鳥みたいにしゃべったらこれがウケて、自然と持ちネタに。
三宅:鶴ちゃんのおでんもそうでしょ。ミニコントの中で鶴ちゃんがおばあさんに扮して、たけしさんが「おばあちゃん、寒いからおでんでも食べて」って熱々のおでんを口に放り込む。
片岡:おでんなんてまったく使う予定なくて、ずっと火にかけてたから煮えたぎってたんですよ(笑い)。本当に熱くて思わずスタジオから逃げちゃった。
三宅:それをたけしさんが面白がって。あれがリアクション芸の元祖ですよ。
※女性セブン2013年6月6日号