「右傾化」「左傾化」は政権の性格を意味する言葉でよく使われる。海外メディアも日本の政治についてこうした用語を使うことがままある。そしてなぜか日本のメディアはこのレッテル貼りに敏感に反応してしまう。なぜそうなるのか。ジャーナリストの長谷川幸洋氏が解説する。
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政権の性格を表す言葉に「右傾化」とか「左傾化」という言い方がある。たとえば、朝日新聞はソウル特派員電でこう伝えた。「北朝鮮の朝鮮中央通信は(5月)20日、日本で憲法改正や国防軍創設の議論が活発化しているとし、『右傾化の機運が日増しに蔓延している』と非難した」(5月20日夜配信)
かと思えば、産経新聞は同じタイミングで「『右傾化』批判一転 米で高評価の兆し」という見出しで、次のような記事を掲載している。
「安倍晋三政権に対し『右傾化』しているという警戒心がくすぶる中、最近になって、経済政策『アベノミクス』や尖閣諸島(沖縄県石垣市)をめぐる対応など、安倍首相の政権運営を評価する論調が出始めた」(20日付)
こちらはワシントン特派員電である。かたや北朝鮮、かたや米国とどちらも外国の評価を紹介する形になっているところが、なんとも興味深い。
私自身も昨年、オランダの新聞特派員から「日本は右傾化しているか」というテーマの取材を受けた。それも最初は米国のワシントン・ポストが「日本が右傾化している」という記事を載せたのが発端で、オランダ紙は追っかけで記事を書くのが目的だった。
こうしてみると、右傾化論議にはパターンがある。まず外国のメディアが日本について論評する。すると、それを転電する形で日本のメディアが紹介する。外国メディアは日本について「右傾化しているんじゃないか」と書きたがり、日本側は「外国にどう見られているか」という点に敏感なのだ。
これは単なる言葉遣いの問題ではない。日本という国の立ち位置に関係している。日本はかつて侵略戦争をして(最近は「侵略」という言葉をめぐっても議論が起きているが)、近隣諸国に迷惑をかけた。だから、外国は日本がどっちの方向に動こうとしているかという点に特別な注意を払っている。
一方、日本メディアは外国から「右傾化」という指摘が出ると、当たっていようがいまいが、ひとまず報じる。こちらも「過去の歴史」がちらっと脳裏をかすめるのだ。
人間と同じように、国も他者との関係で自己認識しようとするのは健全な姿勢だろう。自分はいくら「違う」と言い張っても、相手に「お前はこうじゃないか」と言われれば、まずは相手の認識を踏まえて対応したほうがいい。相手の言い分を無視するなら、良くて冷たい関係、下手をすればけんかになるだけだ。
安倍政権の動向が外で注目を集めるのは、経済が回復に向かっているからでもある。アベノミクスの下で大胆な金融緩和を発動し、15年にわたるデフレを脱却できそうな雰囲気になってきた。日本経済の復活が本物なら「これから日本はどうなるのか」という点に関心が集まるのは自然である。
それを認めたうえで、私は右傾化とか左傾化という議論にたいした意味はないと思う。左から見れば、真ん中であっても右に見えるし、右からみれば逆だ。相対的な話である。
肝心なのは、あくまで政策の中身を自分で考える姿勢ではないか。外交で言えば、尖閣問題で中国と険しい対立が続く中、日本が領土・領海・領空をどう守るかが重要課題になるのは当然だ。そこで、右傾化とかナショナリズム勃興といった他人のレッテルを過度に気にしても生産的ではない。レッテル貼りはステレオタイプとほぼ同じでもある。
※週刊ポスト2013年6月7日号