バラエティー番組をこよなく愛し、研究を続けてきた評論家・ラリー遠田さんが、『オレたちひょうきん族』から『SMAP☓SMAP』、『お試しかっ!』までの流れを徹底解説。
「1970年代は、萩本欽一やザ・ドリフターズの“作り込んだ笑い”がウケた時代でした」(ラリーさん・以下「」内同)
それが大きく変わるきっかけになったのは1980年代初めの漫才ブーム。フジテレビの全盛期とも重なり、ビートたけし、明石家さんま、タモリというビッグ3と呼ばれるスターが生まれた。
「エポックメイキングな番組のひとつが『オレたちひょうきん族』。当時人気があった音楽番組や人気CMのパロディーを本家に迫る高価なセットや衣装で再現。バカバカしいことを真剣にやるスタイルで、見る人を圧倒しました」
とラリー遠田さんは分析。
「1990年代に入る少し前から人気を博したのは『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(1985年)。番組の中でシャッター商店街を再生させるなどの実験的な企画がヒットし、ドキュメント・バラエティーという手法を確立。これが『電波少年』シリーズにつながっていきます。レンズ越しに極限にまで迫っていくドキュメンタリーの素材に、編集のテンポ、テロップの入れ方、ツッコミ型のナレーションなど、お笑いのパッケージングを施したことが視聴率に結びつきました」
クイズ番組では、『マジカル頭脳パワー!!』(1990年)が画期的だった。
「学歴や知識よりひらめきがキモという設問になっていて、言葉遊びやリズム・ゲームなどハプニングが飛び出すゲームの要素を加味。のちのクイズ番組の構成に影響を与えました」
同様に、現在まで続くバラエティーの流れを作ったのが『タモリのボキャブラ天国』(1992年)。
「爆笑問題、くりぃむしちゅー、ネプチューンなど、現在活躍している芸人はほとんどボキャブラ出身。今でこそ若手がテレビに出ることが当たり前になっていますが、それ以前はほぼ無名の芸人がテレビに出るチャンスなんてまずなかった。ダジャレ一発という尺の短い形なので、視聴者もネタより温かい気持ちで受け入れられる。で、これにいちばん食いついたのが若い女性でした。“あの人たち、実はカッコいいじゃん”とお笑い芸人のアイドル化が起きます」
逆に、アイドルも1990年代後半からお笑いに本格的に進出してくる。
「『SMAP☓SMAP』(1996年)は本格的な料理コーナーやコントなど、番組としてちゃんとしているから、アイドルのファンじゃない人も楽しめるんですね。以降、ジャニーズ系はアイドルの魅力を保ちつつ、しっかりバラエティーの枠にも食い込んでいきます」
2000年代に入り、人気のほどを見せつけるのは、『いきなり!黄金伝説。』(2000年)、『お試しかっ!』(2008年)などテレビ朝日の番組群。
「帰れま10テン、食材にちょい足し、節約バトルなど、下流バラエティーとでも呼びたいような、庶民のつましい欲望を捉える番組がうけ始めます」
このように、バラエティーの形は変遷してきたが、
「変わらぬ存在感を放つのがビッグ3。たけしやタモリは文化人枠にも食い込み、さんまは若い世代の話題にもついていける。時代に合わせて自分をバージョンアップしてきた彼らはやっぱりすごい」
※女性セブン2013年6月6日号