皇太子と秋篠宮の兄弟が「継ぐ者」と「支える者」という役割分担を果たせているかと言えば、必ずしもそうは見えない。その原因は、メディアの過剰報道にあると大原康男・國學院大學大学院客員教授が指摘する。
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行き過ぎた皇室報道が始まったのは、平成5年(1993年)に『宝島30』が掲載した、大内糺なる仮名の「宮内庁勤務」を名乗る人物による皇后バッシングがきっかけだ。これに『週刊文春』が同調して同様の報道を続け、皇后陛下は精神的ショックから失声症を患われた。
ところがマスメディアはこれに懲りるどころか、対象を雅子妃殿下に変え、「外国ご訪問の公務にしか参加されない」「愛子様にかかりきり」など執拗にバッシングを繰り返し、雅子妃殿下は「適応障害」と診断されるまでに至った。
「開かれた皇室」論なるものを振りかざすメディアが生んだ悪弊の一つと言えよう。
『新潮45』3月号での、宗教学者の山折哲雄氏の「退位論」や一部の週刊誌などでは、雅子妃殿下の適応障害が10年にわたって治療を続けても改善されず、それが原因で皇太子殿下もご公務をこなせないとして、「退位」を奨める。だが、この10年はまさに雅子妃バッシングの歴史に重なるのである。ご病気の原因を作ってきたのはマスメディア自身ではないのか。
これらの批判報道では、皇太子殿下が雅子妃殿下に語ったとされる「一生、全力でお守りします」というお言葉を引き合いに出し、“家庭重視”のレッテル貼りをする。しかし皇太子殿下はご婚約に際し、「外交官も、皇太子妃も、国のために働くことでは同じ」と説得されたと伝えられる。両殿下が国のために働きたいと考えておられるのはこのお言葉からも推察できるが、メディアは「全力でお守りする」という部分だけをことさら強調してきた。
さらに平成16年(2004年)のご訪欧前会見での「雅子のキャリアや人格を否定する動き」発言でも、皇太子殿下は「公務」という言葉を10回近くお使いになっている。その皇太子殿下が、ご公務をおろそかにしてよいなどと考えられるはずがない。
今年2月のお誕生日に際しての記者会見でも皇太子殿下はご公務に関して、「国民統合の象徴であるとの日本国憲法の規定に思いを致して、国民と苦楽を共にしながら、国民の幸せを願い、象徴とはどうあるべきか、その望ましい在り方を求め続けるということが大切であると思います」と述べられた。興味本位の報道では、そうしたお言葉は全く紹介されない。
「被災地への訪問回数」などを比較して秋篠宮殿下のご公務が多いと言うが、そもそも秋篠宮殿下は皇太子殿下を補佐するのが役割であり、雅子妃殿下のご病気で皇太子殿下がご公務に就けないのであれば、その代行をするのはごく当たり前のことではないか。
※SAPIO2013年6月号