明治以降は国家元首として、戦後は国と国民統合の象徴としてあり続ける天皇。時代が移り変わる中でも、「天皇家の兄弟たち」はそれぞれの務めを果たしてきた。その歴史を小田部雄次・静岡福祉大学教授(日本近現代史)が紐解く。ここでは今上天皇と弟の常陸宮の二人三脚について解説する。
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今上天皇と常陸宮は2歳違いである。2人とも成年前に敗戦を迎え、叔父たちのように軍隊に入ることはなく、戦後社会の教育を受けることになった。今上天皇がアメリカの司書で作家であったエリザベス・ヴァイニング夫人から「ジミー」と呼ばれ、英語をはじめアメリカ流の教育を受けたことは有名である。
戦後の日米友好の場に昭和天皇や今上天皇とともに臨席することが多かった常陸宮は、国民から当時の人気漫画の登場人物にちなんだ「火星ちゃん」の愛称で呼ばれるほど親しまれた。常陸宮は兄が進める皇室外交を積極的に輔佐し、昭和期に12回、平成期には21回も海外を訪問した。今上天皇と二人三脚で「開かれた皇室」をアピールする姿が国内外に印象づけられた。
今上天皇と常陸宮の兄弟は、平和な時代背景もあって穏当に「継ぐ者」と「支える者」の役割をまっとうしてきた。
今上天皇に長男・浩宮(皇太子徳仁親王)、次男・礼宮(秋篠宮文仁親王)が生まれて男系男子継承が安定する一方、常陸宮には子供がなかったことも、兄弟の間に皇位継承をめぐる問題が生まれなかった一因であろう。近代以降、皇位継承にとっての大事は男子が生まれるかどうかであり、兄と弟がいれば自然と役割が決まってくる。それが皇室典範が定めた「宿命」なのだ。
現在、皇太子に男子が生まれていないことで、現時点で次世代唯一の男系男子である悠仁親王とその父である秋篠宮の存在感が増している。天皇家兄弟は近代以降初めての課題に直面しつつある。
※SAPIO2013年6月号