昨年5月に妻であり専属スタイリストだった靖子さん(享年66)を亡くした、みのもんた(68才)。その悲しみは癒えるものではないだろうが、そんな父を支えているのが、長女のなみさん(35才)だ。みのには2男1女がおり、2人の息子は独立しているが、なみさんだけは鎌倉の実家で生活している。
なみさんは有名女子大で英文学を専攻し、卒業後には英国の名門、オックスフォード大学に留学。帰国後も母校で研究者として働いていたという。そんななみさんが大きな決断をしたのが、靖子さんが亡くなって1か月ほどが経ったころだった。
「それまでの研究者としてのキャリアを捨てて、みのさんの専属スタイリストに転身したんです。スタイリストの仕事に関してはまったくの素人だったので、一から勉強したそうです…。すごく勇気のいることだったと思います」(テレビ局関係者)
なみさんは学生時代、父・みのとの雑誌の対談でこんな思いを語っていたこともあった。
<私はテレビにかかわる裏方さんの仕事に興味があるので、父から学校では教わらない話を聞いて、勉強しています>
とはいえ、これまでのキャリアとはほど遠い不慣れな仕事に、当初は上下の組み合わせを間違えるといった失敗もたびたびで、先輩スタイリストに相談しながらの毎日だったという。
転身したての時期は土曜日だけの担当だったが、今ではほぼ毎日、テレビ局に赴いて、みののスタイリングを担当するようになった。
「もうだいぶ慣れてきたみたいで、礼儀正しいしテキパキ動くし、優秀なかたです。しかも、なみさんは靖子さんを若くした感じで、顔だけでなく、背格好までそっくりなんです。みのさんと一緒にいるところを見た『朝ズバッ!』のスタッフは“生まれ変わりかと思った”と驚いたほどですよ」(前出・テレビ関係者)
鎌倉の自宅近所の住人も、こう証言する。
「娘さんはスタイリストだけじゃなく、もうマネジャーというか、奥さんみたいな存在ですよ。毎日、車を自分で運転して、みのさんを後ろに乗せて早朝から仕事場に向かってます。本当に親孝行な娘さんです」
靖子さんの姿に重なるかのように、献身的にみのを支えるなみさん。彼女がキャリアを捨ててまでこの道を選んだのは、あるでき事がきっかけだった。
「それは、靖子さんの葬儀でのことです。なみさんは“どうしても母の喪服を着て参列したい”と訴えたんです。それで喪服を用意してきたんですが、着つけの先生が驚かれましてね。“これ、すでにお嬢さんの寸法に仕立て直してあります…”って。靖子さんは残されたわずかな時間の中で、なみさんに着てもらえるよう、自分の喪服を直していたんです。それを知ったなみさんは、その場で泣き崩れたそうです」(みのの知人)
それだけではない。靖子さんが亡くなったとき、自宅の衣装部屋には、6月半ばまでのみののテレビ用の衣装が、日にちがわかるようにきれいに用意されていた。
「これも、生前に靖子さんがみのさんのために調えておいたものでした。それでも、1か月分用意するのが限界だったんですね…。その衣装を見ながら、なみさんは“お母さんの思いは私が引き継ぐ。これからは私がお父さんを支える”と、涙ながらに決意したそうです」(前出・みのの知人)
天国の靖子さんに見守られて、今日もなみさんは父親を誰よりも格好よく見せるべく、コーディネートしている。
※女性セブン2013年6月13日号