5月23日、『株式会社サンミュージック』の創業者で会長の相澤秀禎さん(享年83)が、すい臓がんで亡くなった。多くのスターを育てた相澤さんだが、その一方で悲しい別れも経験している。
1984年にデビューすると、“第2の松田聖子”と呼ばれるほど人気を集めた岡田有希子さん(享年18)。彼女は1986年4月に、事務所屋上から飛び降り、自ら命を絶った。
岡田さんは自殺する5日前まで相澤さんの自宅に下宿しており、引っ越しを済ませたわずか2日後に再び相澤さんの自宅を訪れていた。相澤さんは女性セブンのインタビューで、「後から思えば、何か話したくて来たんだろうけど、気づいてあげられなかった」と悔しそうに語っていたものだ。岡田さんのSOSはそれだけではなかった。
「(亡くなる1か月前に)楽屋でふたりで打ち合わせをしていたら、ふと彼女が寄り添ってきたんですよ。そんなこと一度もなかったんですが、何か話したいことがあるような、甘えるようなそぶりで。でもぼくはとっさによけてしまった」
相澤さんはそのことを悔やみ続けた。そして二度と同じ過ちを繰り返さないために、タレントに対して「どうしたの?」「どうしてる?」と愛情の問いかけを絶やさないことを誓った。
子役だった安達祐実(31才)には「きみのことはぼくが絶対に守るから」と励まし、「性格的に向いていないから」と芸能界引退を考えていたベッキー(29才)には、絶やさぬ笑顔を褒め、自信を取り戻させた。
売れていない芸人のライブにも足繁く通い、最前列から声援を送ることもある。また、やむをえなくタレントの道を断念してしまった元タレントたちを招いて同窓会を開くこともあったという。
しかしそんな相澤さんが、公の場で“わが子”への怒りを爆発させたことがあった。2009年8月に、当時の夫が覚せい剤取締法違反で現行犯逮捕されると、逮捕現場にいた酒井法子(42才)が任意同行を拒否して失踪。家族よりも誰よりも早く捜索願を出すよう指示したのが相澤さんだった。その脳裏には、岡田さんのことがあったのかもしれない。
しばらく行方をくらませた後、酒井は自ら出頭、逮捕された。会見に臨んだ相澤さんは、「どんな理由があろうとも、薬物に手を出してはいけない」と怒りに声を震わせた。それも酒井を実の娘のように愛しているがゆえのことだった。信じていた娘に裏切られたその胸の内は、悲しみであふれていたに違いない。
「酒井さんが執行猶予を終えた後の道筋を、相澤さんはずっと考えていました。さすがにすぐに芸能界に復帰するのは厳しいと思い、福祉関係の大学への入学を勧めたのも相澤さんでした」(前出・芸能関係者)
※女性セブン2013年6月13日号