東京・銀座といえば海外の高級ブランド店などが居並ぶイメージも強いが、ここ数年は、こうした高級店を尻目に、デフレの波も止まらなかった。2003年にZARA、2005年にユニクロ、2008年にはH&Mと、中央通りに“ファストファッションラッシュ”が起こる。2006年には8丁目にドン・キホーテもオープンした。
この頃から、商品を大量に買い込む中国人観光客の団体が中央通りを闊歩し始める。8丁目の観光バス停車場まで商品を運ぶ日本人店員の姿が銀座の風物詩となった。地元の銀座はこうした時代の変化をどう受けとめてきたのだろうか。
「明治時代に官が造った煉瓦街を商人たちが好き勝手に崩しながらつくり上げた街ですから、銀座の気風はハイカラでモダン。ファストファッションの参入も再開発も大歓迎です」(「銀座街づくり会議」評議会副議長・岡本圭祐文明堂銀座店会長)
とはいえ、すべてを認めているわけではない。銀座では事業者が好き勝手に店を造ることはできない。新築や建て替え、ビル屋上の看板などは、「銀座デザイン協議会」との合意が必要になる。開店当時、異彩を放っていたマツモトキヨシの黄色い看板が白くなったのも、移転前のユニクロの外壁に掲げられたロゴが赤色でなかったのも、地元の要請を受けて変更したためだ。
「銀座の品位や感性、街並みに調和してもらうためのデザインルールですが、これを通して事業者に伝えたいのは、銀座に店を構える商人としての倫理観や心意気です。海外のスーパーブランドもファストファッションも、銀座の店舗は日本一、アジア一を目指して共栄共存しましょうと話しています」(岡本会長)
個人所有の小さな土地やビルの多い銀座にとって、「共栄共存」は繁華街として生き残るために導きだした理念といえる。
これまで幾度もあった景気の波は銀座という街のあり様を変えてきた。格安チェーン店や高級ブランドショップが黒船のごとく押し寄せるなか、軋轢や衝突を経てひとつにまとまるのが銀座の歴史であり文化だった。
その象徴が地元商店主やビルのオーナーで組織する銀座通連合会にある国際ブランド委員会だろう。アルマーニを代表とし、グッチ、ディオールなど銀座に軒を連ねる高級ブランド14社が加盟し、地元とともに街づくりの知恵を絞る。
特定の街のためにこれだけ有名なブランドが顔を揃える組織は世界でも銀座だけだ。だからこそ100万円の高級時計が並ぶ店の隣で100円の商品が売られるという、世界でも類を見ない歓楽街を生んだといえる。
※週刊ポスト2013年6月7日号