歴史劇の時代考証とは、その時代にはありえないモノが出るのを押しとどめる役割も果たしている。タバコを吸う織田信長は、実際にはあり得るのか? みずから歴史番組の構成と司会を務める編集者・ライターの安田清人氏が、あってはならないモノが出ないようにアドバイスする時代考証の役割について解説する。
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歴史劇としてのリアリティを担保するために存在すると理解されている時代考証だが、その果たしている役割を概観してみると、「あってはならないモノが出てくるのを押しとどめる」ことが、もっともわかりやすい時代考証の「効能」であるように思える。
合戦のさなかに敵の弱点を見つけた戦国武将が、思わず「チャンス!」などと外来語を口走るのは論外。しかし、たとえ日本語でもその時代設定にそぐわない表現や、その時代には存在しなかったモノが、うっかり登場しそうになる瞬間は少なくないらしい。
鎌倉時代から室町、戦国、江戸時代まで、中近世を舞台とするNHK大河ドラマに「風俗考証」として関わってきた二木謙一さん(國學院大學名誉教授)によれば、織田信長がタバコを吸う場面がシナリオにあるのをみて、タバコが日本に伝来したのは慶長期以降だからといって場面の変更をお願いしたことがあるという。
似たような話はかなりあるようで、毛利元就が新妻とともに見上げる「花火」も、村上水軍が海上偵察に使用する「望遠鏡」も、豊臣秀吉がほおばった真っ赤な「スイカ」も、どれもみな、その時代の日本にはありえないものだとして、二木さんがドラマへの登場を水際で押しとどめたのだ。
もちろん、信長がタバコを吸ったり秀吉がスイカを食べたからといって、視聴者に何か悪影響を及ぼすわけではない。国民の歴史認識に重大な過誤をもたらす……ほどのことでもなかろう。
ただ、あまりに物わかりよく「なんでもアリ」を許してしまっては、そのうち信長がプライベートジェットで移動し、秀吉はスマホで情報を集めるような冗談のような場面が描かれないとも限らない。それはいくらなんでも極端にしても、伝統や型、あるいは作法といったものは、誰かが自覚的に「保持する」という意識をもたなければ、往々にして時代の変化やときどきの風潮によって改変されてしまいがちなものだ。
言葉や歴史といったデリケートな相手には、やや保守的な対応をとるのが、一国の文明としては上等な気がするが、さてどうだろう。
■安田清人(やすだ・きよひと)/1968年、福島県生まれ。月刊誌『歴史読本』編集者を経て、現在は編集プロダクション三猿舎代表。共著に『名家老とダメ家老』『世界の宗教 知れば知るほど』『時代考証学ことはじめ』など。BS11『歴史のもしも』の番組構成&司会を務めるなど、歴史に関わる仕事ならなんでもこなす。
※週刊ポスト2013年6月7日号