「おサイフ」の中味も違えば、護衛の数、皇居を出入りする門まで、皇太子家(東宮家)と秋篠宮家には大きな「格差」がある。産経新聞記者・大島真生氏が解説する。
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平成18(2006)年9月6日、41年ぶりの男子皇族となる秋篠宮家の第三子、悠仁さまが誕生された時、「悠仁親王」命名の儀の会見は宮内庁記者クラブの隣にある「報道室」で行なわれた。報道室とは宮内庁が日常の記者発表やプレスリリースを行なう場所である。
その5年前、平成13(2001)年12月1日、皇太子家に長女、愛子さまが生まれた。天皇陛下から授けられた「敬宮愛子」の命名の儀の会見は、文化勲章の受章者らが記者会見を行なう宮内庁3階の大講堂であった。
誕生の際の一般記帳についても、愛子さまは、誕生の翌日から宮内庁で行なわれたが、悠仁さまは「宮家」だからとの理由で一般記帳が行なわれなかった。
皇太子家と宮家では、皇居を出入りする際に通る「門」にも違いがある。天皇陛下および内廷皇族(皇后、皇太子ご一家)は「半蔵門」が用いられるが、他の皇族は「乾門」を使用する。秋篠宮さまも半蔵門を使うが、「陛下から特別にお許しを得てのこと」とされており、土日に私用で皇居を訪れる時には、遠慮して乾門を通っている。
※SAPIO2013年6月号