アベノミクスの効果により、株価は上昇。さすがにかつてのバブル経済のころまでとは言わないが、日本経済に対する明るい期待感が高まっているのは確かだ。
ちなみに、バブル経済のピークと言われているのは、日経平均株価の史上最高値3万8915円を記録した1989年12月。その頃の様子はどんなものだったのだろうか──。
元東京地検特捜部の検事の田中森一さんは、1988年に弁護士に転身した。3日間に及んだ事務所開きのパーティーにバブルを実感したという。
「3日間で集まったお祝い金が、8000万円ぐらいあった。1000万円持ってきてくれた人が、3人いました。そんな現金を見たことなかったから、ビックリしましたよ」
バブル紳士や総会屋、暴力団組織の組長などの顧問や弁護を引き受け、裏社会の“守護神”と呼ばれた田中さん。彼らの金銭感覚は凄まじかったという。
「私の顧問先で『五えんや』という焼き鳥チェーンがあったんだけど、その社長がある政治家のスポンサーでもあったんです。選挙参謀がその社長に支援を頼みに行くと、社長がいくら必要だというから、その人は5000万円のつもりで、手を広げて見せたんです。すると翌日、用意されていたのは5億円の現金でした。
その社長は最終的に5年間で使途不明金が370億円見つかった。これが政治家を中心に、六本木やら北新地やらの女の子に至るまで、バラまかれていたわけです」(田中さん)
当時は、地価も株価も上がり続けると誰もが信じていたため、田中さんによれば、銀行が契約書も作成せず、先に取引相手の口座に何十億、何百億円というお金を振り込むこともザラだったという。
「そうしないと、契約書を作成する間に、買おうと思っていた土地や株の値段が上がってしまうから、追いつかないわけです。今のように規制も厳しくなかったから、税金のかからないお金が市中に出回っていました。だから愛人を持ったり、自由に飲み食いできた。決してそれがいいと思いませんが、今はアベノミクスだなんだといっても、当時とはまだ雲泥の差がありますよ」(田中さん)
※女性セブン2013年6月13日号