「おい陽介、走る時間だぞ!」──毎朝6時、故・相澤秀禎会長(享年83/当時・社長)は自宅に下宿させた新人タレントとジョギングに出かける。成城の自宅を出て約30分のコースだったと太川陽介はいう。
「途中に小さな稲荷があって、そこに寄って芸能界の心構えを聞かされるのが日課でした。僕の少し後にデビューした松田聖子も同じように下宿して、ジョギングにつき合わされていましたよ」
大手芸能プロダクション「サンミュージックプロダクション」を相澤氏が興したのは1968年。ジュリーやショーケンが黄色い歓声を浴びた「GSブーム」が最高潮に達し、アングラシーンから台頭したザ・フォーク・クルセダーズの『帰って来たヨッパライ』がミリオンセラーを記録。日本の芸能界に“新しい息吹”が芽生えた時代に同社は誕生した。
所属タレントは森田健作ただ1人、スタッフ2人と6畳1間からのスタートである。ちなみに「サンミュージック」という名前は、相澤氏が森田を「君は太陽のようだね」と評したことから決まったという。
1970年代に入ると、芸能界に「アイドルブーム」が到来。同社が生んだ新人アイドルたちが芸能界で華々しく活躍していく。
「大好きな森田健作さんがいるクリーンなイメージのサンミュージックにお世話になります」
1973年にデビューした桜田淳子は、前年に『スター誕生!』(日本テレビ系)で歴代最高となる25社からのスカウトを受けた。そんな彼女が選んだのは設立から4年しか経っていない同社。淳子は、デビュー年にレコード大賞で最優秀新人賞を獲得する。
5月28日に行なわれた相澤氏の通夜。そこには桜田淳子を筆頭に松田聖子、早見優、酒井法子ら相澤氏が育てたスターが集まった。45年の歴史で、事務所側からの解雇は、覚せい剤取締法違反(所持)で逮捕された酒井法子、1人だけ。相澤氏が「芸能界の良心」といわれる所以である。
「生涯マネージャー」が信条だった相澤氏。日本中を明るく照らしたその人柄は、死してなお受け継がれていくだろう。
※週刊ポスト2013年6月14日号