編集部の中に、あの少し高い、早口の声が聞こえてくる。打合せ中の編集部員の笑い声が、何度も湧きあがる――金子哲雄さんが編集部に来ると、いつでもそんな“あ。金子さんが来てるんだな”という、楽しい雰囲気が漂っていた。
小社刊『僕の死に方 エンディングダイアリー500日』が、先日発表された『ダ・ヴィンチ』(メディアファクトリー)の「2013 上半期 BOOK OF THE YEAR」エッセイ・ノンフィクションランキングで、2位を獲得した。
金子さん本人は、もちろんたくさん本を読んでいた。読みながら、思いついたことを書店でつけてもらったカバーにみっしり書き込んでいた。書棚に並んでいる本は、文にたくさんの線が引かれ、付箋が貼られ、そしてカバーには、判別不能な書き込みがいっぱいだった――と妻の稚子さんは語っている。本を読んで思いついてメモしたことを発想の元にしていたようだったという。
昨年11月下旬の発売から半年が過ぎ、発行部数は23万部を超える。今でも平積みしている書店は多く、書籍販売サイトでのレビューや編集部へ届くハガキは引きも切らない。
TVやラジオ・雑誌で活躍されていたこともあり、記者が編集部での風景を前述したように“金子さんの思い出”を持つ人のコメントが寄せられるほか、金子さんのことを本書で初めて知ったという人、また自身の体験との共感を綴る人は数多い。
「昨年の6月に越後湯沢で金子さん御夫婦をお見掛けし、少しお話もして一緒に写真も撮って頂きました。あの時のやさしい語り、笑顔からはまさかこんなにも大病を患っていたなんて全く感じませんでした。ものすごい精神力の持ち主だったのですね。奥様のやさしい笑顔も忘れられません。金子さんの本を読んで、私のこれからの人生を大事に大事に過ごす事を心に決めました。ありがとうございました。金子哲雄さん」(女性・53歳)
「本書を手にとるまで、実は金子哲雄さんを知りませんでした。しかし、読めば読むほど、金子哲雄さんの魅力にひきつけられ、生前のご活動を知らなかったことが悔やまれます。金子さんの死との向き合い方、仕事への向き合い方、とても感銘を受けました。奥様との信頼関係、共に歩んでいく愛情の深さ、素晴らしいと思います。東京タワーの足下に第2の拠点があるとのこと、私も東京タワーが大好きで1年に1度訪れていますので、行く度に、金子さんを思い出し、偲びたいと思います」(会社員・女性・27歳)
「私も定年を前に癌の種類は違いますが発覚し、現在入退院を繰り返し、治療中です。金子さんのことは、亡くなられた頃テレビニュースで少しは知っていましたが、この本のことは知りませんでした。読み始め一気に読み終わり、41才の金子さんの強く優しい生き方に感動しました。癌と言う病気の先の死を見詰める不安はどうしてもあります。金子さんみたいな心優しい勇気と言うものが自分にあるのか、乗り越えることができるのか、この本を読んで前向きになりました。ありがとうございました」(男性・60歳)
「5年前に胃癌末期の父の介護をしました。告知から1年に満たない期間で亡くなりましたが、医師からの病状説明では真実をはっきり伝えたわけではなかったので、死までの間あいまいな生き方になってしまいました。死としっかり向き合うことが出来ずに病院で亡くなりました。金子さんの生き方は、死を覚悟しただけでなく死後のことまで全て整えていたという事でしたので、あの当時の父との関わりがとても悔やまれます。金子さんから生き方について再考するチャンスを頂いた気がします。ありがとうございました」(主婦・女性・57歳)
これらは『僕の死に方 エンディングダイアリー500日』特設サイトに掲載している、編集部に届いた350通にのぼるハガキのほんの一部だ。
自分らしく死ぬということは、自分らしく生きることよりも難しい――医療技術の発達で平均寿命が延び、人によっては“身動きできない”状態で最期にすごす時間が長くなるケースもある。その人生が長いにしろ、短いにしろ、多くの人は終末を迎えるにあたって「成し遂げるべき何か」を求めて、悩むことも少なくないだろう。そんな中で金子さんの最期の迎え方に、やや不謹慎な言い方だが「憧れ」を感じずにはいられない。
金子さんは、亡くなる2か月前の2012年8月22日、危篤状態に陥り、自らの死を、よりはっきりと意識するようになる。その後、妻の稚子さんに自分の死後、持ち物をどのようにして欲しいかを 口にするようになった。
「ハードディスク2台と、著書を2冊ずつ残すだけで、あとは全て処分して」と言うのが、その希望だった。「あの世に持って行くものはなにひとつ無いな。みんな捨ててもらいたい」「棺にも何もいれることないよ」と語っていたという。