日本のアクション俳優の草分けといえば、誰もが千葉真一の顔を思い浮かべるだろう。出演した作品には、1970年代には主演映画が海外でも上映されたものも多く「サニー千葉」として映画監督クエンティン・タランティーノや俳優のサミュエル・ジャクソンなど熱狂的ファンも多い。かつて、千葉真一のもとに会いに来た、デビュー当時のジャッキー・チェンとの思い出について、映画史・時代劇研究家の春日太一氏が綴る。
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千葉真一は74歳になった現在も精力的に日米を股にかけて活躍している。彼をスターの座に押し上げたのは1968年にスタートしたテレビシリーズ『キイハンター』だ。千葉は学生時代、体操競技でオリンピックを目指していた。その身体能力を活かしてアクロバティックなアクションをスタントなしで展開、視聴者の度肝を抜く。
「日本のアクションを変えてやろうと思ったんです。アメリカ映画になんで追いつけねえんだろうっていう意識があって。同じ人間だ、あいつらには負けたくねえ、と。でも、こっちには予算がない。それなら体を張るぞ、と徹底的にやりました。
アメリカ映画を片っ端から真似しました。『手錠のままの脱獄』の設定を使って、黒人の脱獄犯と手錠で繋がれて逃亡したりね。あの時は、線路のレールとレールの間に寝転んでその上を電車が通るという撮影もやりました。枕木が高いから、そのままでは電車に轢かれるので、削ってもらいましたよ。
電車でいうと、走ってくる車両の屋根にトンネルの上から飛び移るというのもありました。タイミングを間違えて連結部に落ちたらアウトなんですよ。それで、何秒に一回連結が来るかを数えて、そのリズムを自分の中で計算しながら飛びました。怪我はしましたが、おかげで命は落としませんでした。そういうことをやったから、報われたんだと思うんです。
デビュー当時のジャッキー・チェンが僕に会いに来てくれたことがあります。その時、彼にはこう言いました。『自分の役なのに、あのシーンは他人が吹き替えてる。あそこも吹き替えてる。それでは自分の作品ではないんじゃないか。
自分で全部やってこそ俳優だろう。それが出来ないなら、降りるべきだ』って。そうしたらジャッキーも『その通りだ。僕も絶対にそうする』と。以来、彼も一回も吹き替えを使っていません」
●春日太一(かすが・たいち)/1977年、東京都生まれ。映画史・時代劇研究家。著書に『天才 勝新太郎』(文春新書)、『仲代達矢が語る日本映画黄金時代』(PHP新書)ほか。
※週刊ポスト2013年6月21日号