今年の大河ドラマ『八重の桜』の影響で、会津若松が観光地として人気上昇中だ。大河ドラマによって観光客が増加するのは、今年だけの例ではない。その経済効果を求めて、全国各地で地元ゆかりの歴史上の有名人を大河ドラマにしてほしいと訴えている。みずから歴史番組の構成と司会を務める編集者・ライターの安田清人氏が、大河ドラマ効果は学術面でも発揮されることもあると解説する。
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もはや恒例の「行事」のようだが、NHK大河ドラマの番組タイトルと主人公が発表されると、関係する自治体や地元のメディアはちょっとしたお祭り状態となり、関係者はただちに観光誘致に動き出す。
それまで「知る人ぞ知る」歴史上の人物が、大河の主人公に抜擢されることで一気に知名度を上げることも珍しくない。近年は、主人公の遺品・遺物などの史料を展示する博物館の展示企画も盛況で、学芸員や歴史研究者が以前に増して関心を寄せるようになった結果、新たな史料や事実が発見されることも、実は多い。
1992年の〈信長 KING OF ZIPANGU〉の放送が決まって間もなく、信長の正室濃姫(のうひめ・帰蝶)の墓が「発見」され、通説と異なり濃姫が信長の死後まで生きていた可能性も指摘された。
これは大河に合わせた雑誌の特集企画の取材で、歴史研究家の岡田正人さんが「発見」した新事実。当時、新聞・TVなどでも紹介され、濃姫役を演じる菊池桃子らがこの墓に詣でたこともニュースになった。ちなみに、この発見が縁で、岡田さんは「信長」の時代考証に参加している。大河ドラマの人気が歴史研究にも影響を及ぼすことがありうるという、顕著な事例だ。
2008年の〈篤姫〉の場合も、大奥を彩る女性たちについての「発見」があった。篤姫の時代、大奥の重役・御年寄を務めた瀧山(たきやま・ドラマでは稲森いずみ)は、幕府滅亡後、かつて部下だった局(つぼね)の生家を頼り、現在の埼玉県川口市で余生を送ったとされ、付近の錫杖寺(しゃくじょうじ)に墓も残っている。
まだ〈篤姫〉の放送が始まる前のことだが、その錫杖寺に瀧山が使用した駕籠が現存しているとの情報を入手した筆者はすぐに取材を申し込んだ。しかし、帰ってきたのは「何も残ってはいない」というすげない答え。
ところが、いざ〈篤姫〉の放送が始まってみると、ドラマの最後に放送する「史跡紹介」で、この駕籠がしっかり紹介されているではないか! さすがはNHKと、その「実力」に感じ入る一方、少々悔しい経験でもあった。この貴重な駕籠、現在はお寺のHPでも紹介されている(通常は非公開)。
■安田清人(やすだ・きよひと)/1968年、福島県生まれ。月刊誌『歴史読本』編集者を経て、現在は編集プロダクション三猿舎代表。共著に『名家老とダメ家老』『世界の宗教 知れば知るほど』『時代考証学ことはじめ』など。BS11『歴史のもしも』の番組構成&司会を務めるなど、歴史に関わる仕事ならなんでもこなす。
※週刊ポスト2013年6月21日号