中国で習近平国家主席と清華大学の同窓で年齢も同じ陳希氏が党幹部の人事権を握る党中央組織部副部長に任命されたことが分かった。このほど中国メディアが報じたもので、習主席が昨年11月の党大会で党総書記に就任してから半年以上が経ち、党の主要幹部人事にも抜擢人事など習主席の独自色が出始めたようだ。
陳希氏は現在59歳で、2人は1975年、清華大の化学工業学科に入学した。習主席と陳氏は同じクラスで寮も同室。とりわけ2人はウマが合ったといい、このような付き合いが卒業までの4年間続いた。2人は同じ釜の飯を食い、ときには度数が50度以上もある白酒を酌み交わしながら、将来のことを語り合ったことは想像に難くない。
習氏は卒業後、中央軍事委員会に入り、大学卒業したての新人ながら、いきなり国防相の秘書を務めた。超エリートコースだ。この裏には、副首相も務めた建国の元勲である、父親の習仲勲氏が裏で影響力を発揮したようだ。
ところが、習氏は秘書職を3年間務めた後、あっさりエリートコースを捨てて地方政府の末端幹部に転じた。
「いつまでもオヤジの息のかかっているところにはいたくはない」「北京から外に出られないような籠の鳥にはなりたくない」――このように、このときの心境を友人に語っていたという。
その後、習氏は25年間、河北、福建、浙江の各省を“ドサ廻り”さながらに回って地方を回り、2007年に上海市トップに就任。わずか半年で、党政治局常務委員に就任し、“3段飛び”で中央政界入りを果たすことになる。
一方の陳氏は大学卒業後、大学院で修士課程を修了。米スタンフォード大に2年間留学。再び清華大に戻り、大学行政に携わり、2002年には学内の最高責任者である清華大党委書記に昇格した。
1998年、2人は卒業以来約20年ぶりに懐かしい母校で再会する。習氏が在職のまま清華大大学院に研究生として入ったからだ。
習氏は2002年には法学博士号を取得したのだが、香港メディアによると、この博士号取得にはかなりの情実が絡んでいたという。
習氏の博士論文は「中国農業市場化研究」だが、大学院在籍中の4年間は福建省長や浙江省党委書記と地方の最高幹部で極めて多忙だった。大学に行く時間もなく、勉強する時間もほとんど取れなかったに違いない。このため、習氏の博士号取得の裏に、大学トップの陳氏の支援があったことは想像に難くない。
ここで出てきたのが、習氏の大学への多額寄付疑惑だ。習氏が浙江省トップ時代、清華大に「浙江清華長江デルタ研究院」が創設されており、これは「習氏が多額の寄付をして陳氏につくらせた施設」というわけだ。
しかも、陳氏は習氏と再会したころから徐々に出世し始めている。大学の党委員会書記に就任後、習氏が政治局常務委員として「次期最高指導者」と注目されていた2008年には、陳氏は国家教育省(文科省に相当)次官に昇格した。
さらに2010年には、東北地方の大きな省である遼寧省のナンバー3の党委副書記に就任し、翌2011年には大臣級の職位である党科学技術協会トップに昇格したのだ。彼の前任者はかつての最高実力者だったトウ小平氏の娘だったから、極めて権威のあるエリートポストであることが分かる。
さらに今回は、党幹部の人事を決定する党組織部副部長と、トントン拍子に昇進。現在の党組織部長は胡錦濤前主席と親密な趙楽際氏だけに、北京の党関係筋は「習主席は趙氏を信頼しておらず、早晩、陳希氏が組織部長のポストに取って代わるのではないか」と指摘している。