政権中枢を担う幹部の失言。危機管理の専門家でリスクヘッジ代表取締役の田中辰巳氏の目にはどう映ったか。
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デジャヴはデンゼル・ワシントン主演の映画(ジェリー・ブラッカイマー製作)のタイトルで、既視感という意味だ。
自民党の高市早苗政調会長が6月17日、神戸市の自民党兵庫県連の会合で、「福島第一原発を含めて、事故によって死亡者が出ている状況では無い」と発言した。この様子をニュースで見た私は、既視感を覚えた。昨年の7月16日に開かれた意見聴取会で、中部電力の原子力部の課長が、「福島の原発事故で、放射能の直接的な影響で亡くなった方は一人もいらっしゃいません」と発言して、厳しい批判を受けたことを思い出したからだ。
しかし、既視感はそれにとどまらなかった。高市発言を受けて菅義偉官房長官が、「前後を見ると、そんな問題になる発言ではなかった」と擁護した姿を見て、ある光景を思い出した。2007年に安倍内閣の松岡利勝農林水産大臣(当時)が、事務所費の不透明支出を国会で追及された時に、「なんとか還元水も含まれる」という奇妙な言い訳をして物議を醸した。ところが、当時の安倍首相は「法律に則って報告をしており問題は無い」と擁護したのだ。
結局、庇ったことが災いして逆に批判の声が高まったためか、松岡氏は同年の5月28日に自殺した。庇ったということでは、安倍内閣の柳澤伯夫厚生労働大臣(当時)が、2007年1月27日に「生む機械」発言で物議を醸した時にも同じだった。自民党幹部らが「言葉狩りだ」と言って擁護し、柳澤氏が辞任しなかったために、安倍内閣の支持率は大きく低下してしまった。
既視感は他にもある。菅官房長官は高市発言を受けて、「政治家は誤解されないように、それぞれ個人が気をつけなければいけないのかなと思った」とも語った。誤解とは『間違った理解をすること』という意味なので、高市発言に怒りを感じた被災地の人々が、間違っているということになってしまう。このような発言は枚挙に暇がない。最近では民主党の田中慶秋法務大臣が、暴力団幹部との交際を追及された時に、「誤解を招くことで、率直に反省している」と述べ、顰蹙を買って辞任に追い込まれことが記憶に新しい。昨年の10月の出来事だ。
老婆心ながら、菅官房長官の言葉を、危機管理という視点でアドバイスさせて頂こう。「政治家は常に、あらゆる角度から己の発言を見つめて、国民を傷つけないように気をつけなければならない。言う側ではなく、言われた側の視点に立つことが大切なのかなと思った」と語るのが望ましい。
危機管理というのは、他者事例を疑似体験をして、同じ過ちを繰り返さないことが重要だ。すなわち、悪い事例のデジャヴを避けなければならないのだ。政治家が身内の失言を擁護すれば、政党が同じ考えを持っていると見なされる。誤解などという言葉を使えば、理解の仕方が悪いと言うのに等しい。どちらも、火に油を注ぐことになる。その程度のことは、国政を担う政治家ならば予測できなければならない。政治は『展開の予測』が生命線なのだから。
ようやく薄明りがさして来た日本経済。安倍政権の末路が、デジャヴにならないことを祈るばかりである。