テレビや映画といった映像メディアの歴史劇には、時代考証家がアドバイザーとして参加するのが今では当たり前となっている。その時代考証家という仕事を、最初に切り開いた先達について、みずから歴史番組の構成と司会を務める編集者・ライターの安田清人氏が、大河ドラマ効果は学術面でも発揮されることもあると解説する。
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現在、時代考証と言えば、テレビや映画といった映像メディアの歴史劇を対象とする場合がほとんどであり、時代考証家とは、こうした映像作品に目を凝らし、ときに的確な助言をし、ときに辛辣な批判を投げかける存在と「相場」が決まっている。では、最初に時代考証家を名乗ったのは誰だろうか。
この道の元祖として語られる三田村鳶魚(えんぎょ、1870~1952)という人物がいる。鳶魚その人については稿を改めて触れるが、当時はまだ時代考証という言葉は一般的ではなく、本人も「考証家」を名乗った形跡はない。むしろ江戸文化・風俗研究家、あるいは江戸学の祖とする方が通りがよかろう。
「時代考証家」という肩書きで常に語られ、また時代考証という営み自体が一般に知られるようになる端緒を開いたのは、おそらく稲垣史生(しせい)氏(1912~1996)であろう。
稲垣氏は、早稲田大学文学部国文科を卒業後、新聞記者、雑誌編集者などを経て文筆業に転身。小説に手を染め直木賞候補になるなどの活躍を見せながら、やがて時代考証の世界へと入っていった。1968年のNHK大河ドラマ「竜馬がゆく」を皮切りに、「樅ノ木は残った」(1970年)、「春の坂道」(1971年)、「勝海舟」(1974年)、「風と雲と虹と」(1976年)と5本の大河ドラマの時代考証を担当した。
稲垣氏はいくつもの著作のなかで、自らを「考証屋」と称し、大河ドラマなど時代劇の時代考証を担当した際の苦労話や裏話を披露している。
「風と雲と虹と」以降、稲垣氏が大河ドラマの時代考証をすることはなかったが、「時代考証家」としての氏の名望は確かなものとなり、亡くなる直前まで、メディアに登場しては時代考証を論じ、膨大な数の著作を残した。ある著書の帯に、作家・司馬太郎氏が「唯一の先達の仕事」と推薦文を寄せていることからも、氏の影響力と業績の大きさを垣間見ることができる。
■安田清人(やすだ・きよひと)/1968年、福島県生まれ。月刊誌『歴史読本』編集者を経て、現在は編集プロダクション三猿舎代表。共著に『名家老とダメ家老』『世界の宗教 知れば知るほど』『時代考証学ことはじめ』など。BS11『歴史のもしも』の番組構成&司会を務めるなど、歴史に関わる仕事ならなんでもこなす。
※週刊ポスト2013年6月28日号