【書評】『嫁の遺言』加藤元/講談社文庫/680円
【評者】田口幹人(さわや書店フェザン店)
2作の長編で、圧倒的な筆致を揮った加藤元さんが次に選んだのは、短編集だった。街の片隅に暮らす7人を主人公とした大人のための「おとぎ話」だ。驚いた。日常の描写をベースとして語られる地味な物語が、なぜこれほどまでに心の底を温めてくれるのだろうか。登場人物は、すべて大声でつらい境遇を訴えているわけではない。
その境遇を抜け出そうと思えば抜け出せる環境にもある。その境遇を拒んでいるわけでもないが、甘んじて受け入れているわけでもない。半面、絶対に譲れない思いを抱えて生きている。その反する両面を繋ぐ役割を果たしていたのは、前2作にはなかった、ユーモアの要素だったのではないだろうか。
ユーモアを交えることで、登場人物の心情を大仰ではなく湿っぽくもなく、温かいといっても甘すぎず、静かに染みこむ表現を用いて、どうしようもなく弱さに引き寄せられてゆく様を、負の感情ではなく微笑ましく受け取らせた。読後、「おもしろかなしい」というふしぎな感情がわきあがってくるのだ。
字数の関係上、すべてはご紹介できないが、なかでもおすすめの一編「いちばんめ」をご紹介したい。
高校を卒業してからずっと引き出しにしまっていた彼との日々が蘇る。引きずっていた青い記憶。一生に一度しかない1番目の恋。若さゆえに互いに我慢することができなかった、許すことができなかった日々。
長年の親友である友人の結婚式。避けてきた初恋の彼との再会が、あのほろ苦い日々を思い出に変えることができたのだろうか。若さゆえにぶつかった。若さゆえに信じることができなかった。時を経て交差した思い。皆さんのはじめての恋は、いま何色にたとえて思い出すことができるだろうか。たとえどんな色の思い出であっても、そうそれがあなたの大切な「いちばんめ」なのだ。
読後、ため息とともに若かりし日のもどかしさを思い出してほしい。
他の6編も、不器用でただ一途に生きていく人間の物語が描かれている。人の優しさにふれたいときは、加藤元を読むといい。手のひらから伝わる温もりを感じてみてほしい。この7つの物語のどこかに、きっとあなたがいます。物語のなかのあなたに出会えたとき、少しだけ自分に優しくなれるかもしれない。
※女性セブン2013年7月4日号