スポーツライターの永谷脩氏が往年のプロ野球名選手のエピソードを紹介するこのコーナー。今回は、“球界の寝業師”と呼ばれ、西武、ダイエー両軍の黄金時代の礎を築いた故・根本陸夫氏のエピソードを紹介する。
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逆指名・ドラフト外などで選手が獲れた時代、新戦力発掘という分野で手腕を発揮したのが、西武・ダイエーで編成担当幹部を務めた根本陸夫である。
私が根本と初めて会ったのは1977年。ドラフトでクラウンライター(現・西武)が江川卓を指名し、監督である根本が江川に挨拶に来た時のことだった。当時江川は私の知人宅に下宿中で、私が2人の会話を襖の陰で聞いていたら、「畜生な真似をするな」と怒鳴りつけられたのが最初であった。
根本は「球界の寝業師」の異名を持つ。いい選手がいると聞けば、幅広い人脈を駆使して根回しし、すべてを獲りに行った。その新人の親族が仕事上の不安を抱えていれば、グループ会社に「面倒を見てやってくれや」と言って丸抱えすることもあった。
2004年の「裏金騒動」を機に、大きく方針を転換した現在のスカウト活動からすれば、古いやり方かもしれない。しかし、後に西武とダイエーの黄金時代を作る根本の人脈と手腕は、球界では語り草であった。
口癖は「どこかに面白い選手はおらんか」。名前を挙げると「面白いやないか。メシでも一緒に食ってこい」といって小遣いをくれることもあった。この「一緒に」というのがミソだ。選手とは預かった以上の金を使って飲み食いしたが、後にこれが私の財産になったように思う。
何事も筋を通す人だった。自分が見初めた新人が入ってくると、「野球しかやってこなかった連中やから、多少のことは大目に見てや」と言って、関係筋に頭を下げていた。そのやり方に、ヤンチャな選手たちはどれだけ救われたことだろうか。編成という金銭の絡むポストにいた人だったからこそ、教えられたことも多い。
「相手が、手にした金を何に使うか、よう見とってみい。そうすればその人間がよくわかる。選手1人を育てるっていうことは、金がかかることやからな」
根本の人脈の深さは、こんな配慮から出来上がっていくものなのかと思ったものだ。
※週刊ポスト2013年7月5日号