房総半島の九十九里浜にほど近い千葉県匝瑳市。昨年6月、心不全のため他界した地井武男さん(享年70)が生まれ育ったこの地では、地元商工会が中心となって、ある計画が進められていた。
「去年の10月頃、地元の友人や商工会の人たちが、地井さんの奥さんと娘さんに“地井さんの記念館をつくりたいんです”と持ちかけたんです。急な話だったこともあって、奥さんも娘さんも最初はどうしようかと戸惑っていたんですが、友人から“地元の多くの人たちが彼を悼む場所がほしいと言っています”と懇願され、ふたりも“3年間の限定”という約束でOKしたんです。3年間という期間を設けたのは、“いつかお客さんが来なくなってしまって寂しい記念館になってしまうのが心配だから”ということでした」(芸能関係者)
こうして商工会と地井さんの友人、そして市も加わり、実行委員会を立ち上げ、設立資金は商工会と市が出し合うということで、記念館の設立計画がスタートした。
実行委員会は地井さんの一周忌当日の「6月29日オープン」を目指していた。発足当初、計画は順調に進んでいたのだが、結局、一周忌に記念館を開館することはできなかった…。
「記念館には、地井さんが出演した『ちい散歩』(テレビ朝日系)の映像や絵手紙の展示を考えていたんですが、その権利関係の調整に時間がかかってしまったんです」
実行委員会関係者はそう説明するが、理由はそれだけではなかった。地井家の知人が、こう重い口を開く。
「もちろん権利問題もありましたが、“どこに記念館をつくるのか”というのが大きな問題となったんです。
最初はずっと空き家になっていた地井さんの実家にしようと、実行委員会は考えていたんですが、その実家のすぐ近くに住む地井さんのお兄さんの奥さんがその計画に猛反対したんです」
生前、地井さんはきょうだいについて、何度も語ってきた。しかし、姉については多弁に語るも、たったひとりの兄については、多くを語ることはなかった。
「もう何十年も前のことですが、お兄さんは40才ぐらいで白血病を患い亡くなったんです。ご長男だったので、実家近くにある地井家代々のお墓に入ったんですが、奥さんがある宗教の熱心な信者だったんです。その宗教に従って、葬儀もしなければ、線香もあげないという奥さんに、地井さんとしては理解できない部分が多くて、兄嫁が継いだ実家とは疎遠になっていったんです」(前出・地井家の知人)
義理の姉妹ながらも、ほとんど面識もなく、微妙な距離の、地井さんの後妻・三樹子さんと兄嫁。だが、そんなふたりが記念館設立を巡って思わぬ形で対峙することとなった。
「空き家となっていますが、実家の所有者は兄嫁なんです。ですから実家に記念館をつくるためには、彼女の許可が必要だったため、三樹子さんは実行委員会の人たちと一緒に彼女の元を訪れたんです。しかし、兄嫁はとりつく島もなく、三樹子さんたちを門前払いしたそうです」(前出・地井家の知人)
地井さんが幼いころから高校卒業まで過ごした思い出がたくさん詰まった実家に、どうしても記念館をつくりたいと三樹子さんと実行委員会のメンバーは何度も兄嫁にお願いしたものの、彼女が首を縦に振ることはなかった。
結局、最後は断念せざるを得なくなり、実家近くの空き店舗に記念館を設立することに決めたのだった。
※女性セブン2013年7月18日号