日本で初めて、選挙活動にインターネットを活用する選挙が始まった。各政党はSNSでページを開設しアプリをリリースするなどしてこれまでよりも多くの支持を取り付けようと必死だ。時代が変わるかもしれない選挙を前に公開され、連日満席が続いているドキュメンタリー映画「立候補」監督の藤岡利充氏に、選挙を通してみえてくる有権者と政治家の関係について尋ねた。
* * *
――ご自身は、成人してから、必ず選挙では投票に行く習慣があったのでしょうか?
藤岡:行ってないですね。4年前に実家がある山口県へ戻るまで、ほとんど行きませんでした。自分一人が選挙へ行かなくても何も変わらないと思って。親父が町会議員をしていて、岩国市へ合併してからも自民党系の市会議員をやっていたので選挙に関しては身近に感じて育ってきていたのですが、普通の無党派層の感じでした。
――最近は選挙へ行き投票するようになったのは、どんな理由なのでしょうか?
藤岡:結局、自分との約束だと思うんです。投票しないことに対しても、ちゃんと理由づけができれば単純に非難されるようなことではないでしょう。自分についていえば、子どもが生まれてからは、子どもに対してどう語ろうかと考えちゃうんです。もし投票しないとしても、その行動をきちんと説明できる理由が見当たらない。だから今は、少なくとも選挙に関わるよう、投票するようにしています。それが僕が投票する理由です。
――映画「立候補」は2011年大阪市と大阪府のW選挙で府知事へ立候補したなかでも“その他”に分類されて報じられる候補者たちを取り上げています。
藤岡:もともとは「夢追い人」というテーマのインタビュー企画でした。自分自身が、いったんは映画監督デビューをしたものの山口県へ帰ってから映像製作とは無関係な毎日になってしまった。でも映画を作ろうと考えたとき、アカデミー賞をとりたいと自然に思ったんです。無謀だと思われ馬鹿にされるかもしれない。でも、夢を追いかけている人が日本にはまだいると思って浮かんだなかのひとつが”泡沫候補”と呼ばれる人たちでした。
――夢を追うひとつの形として泡沫候補をとりあげたんですね。
藤岡:まず、2007年東京都知事選での政見放送が今でもインターネット上で人気を集めている外山恒一さんへインタビューしました。その後、マック赤坂さんのインタビュー取材に行ってみたら「これから大阪府知事選挙に俺は出る。大阪には羽柴も来る。あいつが羽柴なら俺は信長だ。羽柴対信長の戦いを撮れ」と言われたんです。これは面白くなりそうだと思い、映画にしようと決めました。
――その後、羽柴さんが病気で出馬しないと知らされたときには驚かれたのでは?
藤岡:かなりガクンと落ち込みましたよ(苦笑)。この企画は成り立つのかすごく不安になりました。
――いわゆる泡沫候補の場合は、お金持ちの道楽と見られたり本気ではないと思われがちですね。
藤岡:彼らは本気だと思います。どういった意味で本気なのか、という違いはありますが。自分が考えていることを伝えるというコミュニケーションに対して本気なんです。もし選挙に当選したら、自分がやりたいことを実現することで形にできます。でも彼らは当選しない。世の中をよくしたい思いを届けたくていろんな方法をとっている人たちなんです。
――その工夫が、戦国大名のように鎧兜をまとったり奇抜なスタイルやダンスといった、ふざけていると思われかねない行動につながっているんですね。
藤岡:候補者によっては、人からどう見られるかをとても気にする人もいます。でも突き抜けていて人からどうみられようが関係ない人もいる。大阪W選挙のとき、選挙活動最終日にマック赤坂さんは橋下徹さんへ向ってアピールしに行きました。伝えようとする言葉や思いが圧倒的に強いから、どんな手段をとってでも自分の存在を知らしめようとする。
――周囲からどう見られるか気にしない強い推進力は選挙や政治には不可欠でしょうか?
藤岡:難しいところなんですよね。政治家というのは、基本的には人の意見をきかないといけないと思います。でも、人の意見を聞いてばかりでも政治家として信用されなくなる。
――人の意見を聞くことが信用を失う原因になるというのは意外ですね。
藤岡:たとえば、村山富一さんは社会民主党初代党首だったのに、1994年に首相になると連立政権で組んだ他政党の意見を聞き自衛隊を否定せず原発にも反対しなかった。それは選挙の洗礼を受けずに首相になったからだと言われています。その後、日本国民は村山首相を否定し社民党の支持も減った。村山さんにも取材したくて申し込んだのですが断られてしまった。会えばどうにかなるかと大分まで行ったんですけど、留守で残念でした。
――そのあと再び自民党政権になりますが、自民党は2009年の選挙で大敗し民主党へ政権交代。ところが、その民主党政権もわずか3年後の選挙で大敗し否定されました。
藤岡:民主党の場合は村山さんとは逆で、言ったことは実行しなければならないという呪縛にとらわれてしまった。約束したことを実現しようと頑張ったけれど支持してもらえなかった。難しいところですよね。本来は、もっと柔軟に対応できるように国民が選挙で導くべきところじゃなかったのかと思います。
――投票する側も、血眼になってあらさがしはしない方がよいのでしょうか。
藤岡:いまは一般的には政治家は批判したほうがよしというような空気があると思うんです。政治家を育てるという視点で見直せば“けなす”と“ほめる”育て方のどちらがいいのかと考えたら、子どもの育て方と一緒でほめた方がいいと考えるはず。でも今は、けなして育てる傾向が強いから、政治家の側も態度や考え方がとがって迷走しちゃう。自分に対して自信が持てないんですよ。
――有権者の態度や考え方が、鏡のように政治家に映っているのでしょうか?
藤岡:政治家は有権者以上にはなれないので。選挙というのは、みんなに嫌われたら通らないですから。たとえば、今はスピーカーで立候補者の名前を連呼しないですよね。有権者が求めているから静かになった。政治家は有権者が喜ぶような方法を選ぶんです。
――一投票する側は、もっと政治家とともに生きているのだという気持ちを忘れないようにするべきですね。
藤岡:4年ごとに失業する可能性もあるのに、少なくとも最初は世の中を良くしようと思って出馬するのが政治家です。この映画で特に泡沫候補をフィーチャーしたのは、彼らをもう少し優しい目で見られれば、現役の政治家たちに対しても優しく見られると思ったからなんです。
●藤岡利充(ふじおか としみち)1976年生まれ。山口県出身。映像制作会社勤務を経て「フジヤマにミサイル」(2005年公開)で映画監督デビュー。監督第2作にして初めてのドキュメンタリー映画「立候補」は6月29日よりポレポレ東中野にてロードショー他全国順次公開。