習近平政権が昨年11月に発足して、すでに7か月が経過し、徐々に習国家主席を支えるブレーンともいえる10人の側近グループの存在が明らかになってきた。『習近平の正体』(小学館刊)の著書を持つジャーナリストの相馬勝氏が解説する。
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まず、習氏が側近として最も頼りにしているのが党政治局員の王滬寧(おう・こねい)氏だろう。王氏は党トップの総書記の政策を立案する党中央政策研究室の主任も兼務している。王氏は米国やロシアなど習氏の外遊には必ず随行しており、常に習氏の左隣に位置し、的確なアドバイスを行なっている。
王氏は米アイオワ大や南カリフォルニア大学バークレー校にも留学経験があり、党政治局でも唯一の国際通だ。国際政治ばかりでなく、経済にも精通している。
王氏は江沢民、胡錦濤、習近平という3代の最高指導者に仕えてきた。江氏は資本家でも党員になることができるという「3つの代表」理論を提唱し、胡氏は「科学的発展観」「和諧社会」を打ち出した。習氏は「中国の夢」を自身の政治スローガンの柱にしているが、いずれも王氏が発案し、理論的な肉付けを行なっている。習氏にとって余人を持って代え難い策士といえるだろう。
習氏が王氏同様、政策的に頼りにしているのが党中央政策研究室副主任の施芝鴻氏だ。王氏の部下に当たるが、年齢は上だ。トウ小平氏が1992年の「南巡講話」で再び改革・開放路線を強力に推進した際、上海市の党機関紙『解放日報』は「皇甫平(こうほへい)」署名の論文で改革・開放路線を援護射撃した。皇甫平論文とは3人の識者が執筆したといわれるが、施氏はそのうちの1人で、後に党政治局で政策ブレーンを務めてきた。
施氏は習氏が2008年に国家副主席に就任した5年前から習氏の知恵袋といわれ、政策をまとめてきた有力人物だ。習氏が昨年12月、党総書記に就任して初めての地方視察として広東省を選び、トウ氏の南巡講話の足跡をたどる「新南巡」を演出し、全人代で李克強首相が「民生重視」の改革を打ち出したのも、施氏が筋書きを書いたといわれる。
習氏の「中国の夢」の理論武装を行なっているのが李君如・元中央党校副校長で、同校の中国の特色ある社会主義理論体系研究センター教授だ。習氏は国家副主席時代の5年間、中央党校の校長を務めており、李氏は中央党校時代、習氏を支えてきた有力ブレーンの一人だ。
李氏は今年5月12日付の中国人民解放軍機関紙「解放軍報」1面に「中国の夢を実現する強大な動力――中国の夢と改革開放を論ずる」とのタイトルの論文を執筆。その論文の主要な眼目は「習近平主席が唱える中国の夢を実現するには改革・開放の戦略目標を深化することであり、改革開放を深化することは中国の夢を実現する強大な動力である」という一節だ。
中央党校副校長といえば、現役の副校長である李書磊氏も有力ブレーンの一人だ。李氏は「神童」と呼ばれ20代で大学院博士課程を修了した逸材で、現在49歳と若く、習氏のスピーチライターを務めている政治秘書的な役割を担っている。
李氏が政治ならば、経済政策のブレーンは党中央財経指導小組弁公室主任の劉鶴氏だ。劉氏は米国留学経験もあり、国家発展改革委員会副主任も兼務している。バブル経済崩壊が懸念される中国経済の運営で、習氏がもっとも頼りにしているエコノミストといわれている。
習氏が個人的に最も信頼している人物が栗戦書・党中央弁公庁主任と陳希・党中央組織部副部長だろう。栗氏は習氏が責任を持つ党中央委員会の運営を一手に任されており、習氏の国内視察や外遊にかかわらず、常にほぼ24時間、習氏と行動をともにしている。
習氏との出会いは習氏が最初の地方勤務地である河北省正定県の隣の県の党幹部だったころで、同じ境遇の2人は意気投合し、個人的親交を深めたという。習氏が党総書記に就任直前、栗氏がトップを務めていた貴州省を視察。その際、栗氏は習氏と3日間の全行程をともにし、2人で心ゆくまで話し込み、栗氏を自身の“大番頭”に据えることに決めたという。
一方の陳希氏は習氏と名門、清華大の同窓で、年齢も同じ。習氏は1975年、清華大の化学工業学科に入学したが、陳氏も同じクラスで、寮も同室という生活が卒業までの4年間続いた。陳氏は行政官として大学に残り、習氏の博士号取得などを手伝うなど親密な関係を続け、最近、党幹部の人事権を一手に握る党組織部副部長に任命されている。
このほか、ほとんど報道されず、公の場に姿を現す機会は少ないが、施芝鴻氏と同じく党中央政策研究室副主任の何毅亭氏や、習氏が浙江省トップ時代から秘書を務める鐘紹軍氏、さらに最近習氏の個人秘書に任命された朱国鋒氏といったブレーンが習氏を支えている。