両胸にがんが見つかった、ノンフィクション作家の島村菜津さん(49才)は全摘+再建手術を選択した。乳がんは、早期発見(0期)なら10年生存率が95%と高く、適切な検診と治療により、“サバイブ”可能な病気になった。「術後の暮らし」を支える“サバイバーシップ”について、島村さんが解説する。
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15年間、アメリカでがん研究と医療に携わってきた私の主治医である山内英子さんは、中村清吾さん(昭和大学病院ブレストセンター長)の後任で、聖路加国際病院では女性初となる乳腺外科部長である。その山内さんが当面の目標にしているのは、「サバイバーシップ」という考えを全国に広めることだという。
「昔、がんは不治の病でした。でも、医学の進歩により、がんそのものの解明が進み、治る病になって、がんが“慢性病化”しているという現状がある。
かつては命さえ助かれば、腕がむくもうが、子供が産めなかろうが、『治ったからいいじゃないか』という状況もあった。でもこれからは、その後の人生も考慮した医療体制に移行すべきです」(山内さん)
サバイバーシップの活動は、1986年、アメリカで25人のがん患者が発足したNCCS(National Coalition for Cancer Survivorship)とともに生まれた。
山内さんは言う。
「毎年、日本で約5万人が乳がんと診断され、約1万人が命を落としている。それはつまり、年に4万人のサバイバーが誕生しているということでもある。しかもアメリカでは閉経後の60~70代が多いのに対し、日本では30~40代の若い層に多い。ということは、日本はアメリカ以上に“術後の暮らし”を考えることが大切なのです」
サバイバーシップには、4つの側面があるという。まずは身体的な側面。
「術後、皮膚のひきつれや痛みに悩む人もいる。放射線治療の障害に苦しむ人もいます。独身の女性なら、抗がん剤で生理が止まったり、薬によっては出産に支障をきたすことも伝えておくべきです」(山内さん)
そういう術後のケアを、病院側が、家から近い地域の医師と連携して引き受ける体制づくりが急務だという。
2つめは心理的な問題だ。がんになれば、誰もが再発の不安を抱える。そこからうつを併発する人が約10%もいるという。例えば、乳がんは肺や骨に転移しやすい。すると更年期の肩こりや腰痛にも、風邪の息苦しさにも、「再発では」と一抹の不安がよぎる。
最近、私自身も担当医である聖路加の乳腺外科医・尹玲花さんにメールで、「咳が出るが、普通の内科へ行くべきか、聖路加へ行くべきか」をたずねた。結果的にはただの風邪だったが、私ほどの楽天家でも、潜在的に“プチ再発ノイローゼ”を呈していたわけだ。
「聖路加国際病院」には、腫瘍心理学の専門家がいるが、日本の多くの病院ではまだほとんどいない。同院では2011年、若年性乳がんの患者が悩みや日々の工夫を分かち合うグループ療法を週に1度、5週間続け、その後、心理テストを行ったところ、9割の患者の精神状態が明らかに改善したという。つまり不安の大半は、具体的な情報の欠落なのである。
3つめは社会的側面。
「例えば、アメリカではがん患者の無就労率が36%、韓国では、がんと診断されて47%が仕事を失ったといわれています。日本でもサバイバーシップのNPO法人、HOPEプロジェクトの調査によれば、就労者の24%が依願退職・解雇、廃業などの憂き目にあったそうです」
そう山内さんは言う。尹さんもまた、ある時、病室で涙を見せた50才のキャリアの女性のことが忘れられないという。
彼女は、微小な乳がんが見つかったが、抗がん剤もホルモン剤も処方されない、ごく初期のものだった。無事に手術を終え、職場に復帰すると、何と管理職の座を追われ、すっかり窓際に追いやられていたそうだ。
患者が働ける環境づくりには、医療機関にも改善の余地があると山内さんは言う。
「アメリカでは、早朝や夜、休日でも放射線や抗がん剤治療が受けられ、勤め人の便宜を図っているが、日本では、これもまだ皆無です」
もうひとつはスピリチュアル、あるいは宗教的な側面。
「がんで仕事を失うこともある。多くの友とも疎遠になる。体の調子も悪いとなると、人は“自分の人生とは何か”という根源的な問いに立ち返る。死の恐怖、人生の意味、神といった問題に触れる。そんなとき、今の日本にそれらの疑問を打ち明ける場があるでしょうか」(山内さん)
末期がん患者が入院する緩和ケア病棟で、死を間近に迎えた患者たちとも日々、向き合う山内さんは、そう訴える。
※女性セブン2013年7月18日号