スポーツライターの永谷脩氏が往年のプロ野球名選手のエピソードを紹介するこのコーナー。今回は、元近鉄バファローズの中根正広選手についてだ。
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「主人の野球カードができました」と、仲根正広の妻・千恵子さんから、手紙が送られてきた。仲根が40歳で急逝してから、18年目の命日のことだった。
仲根は日大櫻丘のエースとして1972年のセンバツで優勝、ドラフト1位で近鉄に入団した。193cmの長身から仇名は“ジャンボ”。今でこそ大谷翔平(日本ハム)、藤浪晋太郎(阪神)ら190cmを超える大型投手は珍しくないが、当時は「190cm超の投手は大成しない」といわれた時代。それに加え、投手としては優しすぎる性格から「打者の胸元を突けない」と指摘され、二軍暮らしが続いた。
打者に転向するか真剣に悩んでいたある雨の日の夜、夫婦で出かけた帰り道、ジャンボは高速道路の高架の下で、びしょ濡れになって鳴いている子猫を発見した。「俺と一緒で路頭に迷っているな」と思った心優しいジャンボは不憫に思い、家に連れて帰る。子猫には「ニャン太」と名付けて可愛がった。
だがジャンボのアパートでは動物を飼うことは禁止。仕方なく内緒で飼っていた。練習が終わって夕暮れに家に着くと、ニャン太はジャンボを迎えに出てきた。その日も足音を聞いたニャン太は勢いよく飛び出した。だが、そこに待っていたのはジャンボではなく大家だった。
「すぐに捨ててきなさい」と怒鳴られたジャンボは、大きな体を小さく丸めて謝ったが、許してもらえなかった。仕方なく、夫婦はニャン太をタオルを敷いたカゴの中に入れ、泣く泣く高速道路下の拾った場所に向かう。この時、飼えない理由を書いた手紙と、牛乳代として3000円を入れた封筒を入れておいた。
別れ際、何度も何度も頭を下げて謝るジャンボ。立ち去ろうとする時、ニャン太が一声、大きく鳴いたという。その声が、16年間の現役を引退するまで、耳について離れなかった。この時、ジャンボは千恵子さんに、「一本立ちして、動物が飼える家を買う」と約束した。
これがきっかけとなり、プロでの投手生活に別れを告げることを決心。西本幸雄監督の下で猛練習を重ねた。上背があるだけに飛距離が出る。大物の片鱗を見せたのは1983年。106試合に出場し14本の本塁打を記録、1985年にはプロ野球通算5万号本塁打を放った。「もっと早く打者に転向していたら、すごい打者になったのに」と言った、西本の顔が懐かしく思い出される。
プロ入り13年目、ジャンボから届いた住所変更を知らせる手紙には、「今度は動物が飼えます」とあった。
※週刊ポスト2013年7月19・26日号