すっかり影の薄くなってしまった日本維新の会はどこへ向かおうとしているのか。ジャーナリスト・須田慎一郎氏がこれからの展開を解説する。
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「日本維新の会がモデルとしたのは、細川護熙氏率いる日本新党だった。橋下徹共同代表は、熊本県知事から首相にのぼりつめた細川氏に自らをなぞらえていた」
大阪在住で橋下氏を良く知る人物がこう指摘する。
細川氏が率いた日本新党が一気に存在感を高めたのが、1993年6月の都議会議員選挙だった。この選挙で、日本新党はそれまでわずか2議席だったのを一気に20議席にまで増やし、その勢いで7月の衆院選で35議席を獲得して細川内閣誕生へとつながっていった。
「もっとも日本維新の会の方は、都議選が惨敗に終わった時点で夢は潰えてしまった。今後、橋下氏は大阪回帰を強めてくるだろう。結果、日本維新の会は分裂に向かう。具体的には国会議員団を中心とするグループと大阪維新を中心とする橋下グループの二派だ」(前出の橋下氏を良く知る人物)
大阪回帰を強めるとは言っても、それはそれで茨の道だ。というのも、橋下市長の原点とも言える府市統合作業がほとんど進んでいないからだ。
「もう一つの政令指定都市、堺市が市議会も含めて反橋下一色なのです。当分の間、府市統合は無理でしょう」(大阪維新の会に所属する議員)
いったん大阪に引き、3年後とも言われる次の国政選挙に備えて籠城して力を蓄えるというのが今の橋下氏の基本戦略のようだが、それまでお膝元の支持基盤は持ちこたえられるのか、微妙な状況になってきた。
※SAPIO2013年8月号