時代劇を歴史の真実に近づける専門職、時代考証家といえど真実を見抜くのが難しいこともある。みずから歴史番組の構成と司会を務める編集者・ライターの安田清人氏が、坂本龍馬にまつわる剣豪エピソードを例に、先人たちが偽書に騙された例を解説する。
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時代考証の「専門家」を初めて名乗ったのは稲垣史生(しせい)氏だと思われるが、歴史・時代小説にも時代考証的な関わり方をした先人たちがいた。森銑三(もり せんぞう 1895~1985)は、在野の歴史家、書誌学者として評価が高く、江戸学の祖などとも呼ばれる「知の巨人」だ。作家の永井荷風が、森をして「真の学者」と称したことからも、研究者としての偉大さが想像できよう。
森自身が時代考証家を名乗ったことはないが、彼の残した膨大な著述は歴史・時代小説を書く作家の必読書で、とくに江戸時代の随筆など古典籍の紹介や人物伝は今もなお、江戸時代の人物を描く際に、さまざまなヒントを与えてくれる「知恵の泉」である。
その森と、歴史・時代小説にまつわる興味深いエピソードを紹介したい。坂本龍馬といえば司馬遼太郎の『竜馬がゆく』で、龍馬を日本史上もっとも有名な人物の一人に押し上げたのは司馬に他ならない。
その龍馬がまだ江戸の桶町千葉道場で剣術を学んでいる時分、各道場を代表する剣客が一堂に会して腕を競う剣術大会が開かれた。後に維新の元勲となった長州の木戸孝允がすさまじい腕前を披露し連戦連勝。土佐の武市半平太は、木戸に敗れれば師匠や道場の名誉を傷つけると立ち合いを躊躇した。そこに、郷里の後輩である龍馬が現れ、平然と木戸と立ち合い、激戦の末に大殊勲を挙げた。
龍馬ファンなら周知のエピソードで、もちろん『竜馬がゆく』の「安政諸流試合」の章で、青年龍馬の「凄味」を象徴する場面として描かれている。しかしこの場面、実は『竜馬がゆく』が新聞に連載された昭和37年より20年近く前の昭和18年に、雑誌『伝記』に森が寄稿した「坂本龍馬」という文章に描かれているのだ。
根拠となった史料は、龍馬の勝利を喜んだ武市が国元に送った手紙だという。このくだり、明治16年に新聞記者の坂崎紫瀾(しらん)が執筆した龍馬の代表的な伝記小説『汗血千里駒(かんけつせんりのこま)』をはじめとする数々の龍馬伝記には出てこないので、おそらく司馬は森の文章を参考にして、このエピソードを小説に盛り込んだのだろう。
ところが、昭和54年刊の『坂本龍馬のすべて』のなかで、土佐藩研究で知られる歴史家の平尾道雄は、この試合の日時には龍馬も木戸も、そして武市さえも江戸にはいなかったことを検証し、武市が送ったとされた手紙は偽書であると結論付けた。つまり、森はまんまとこの偽書に騙され、司馬もまたその間違いに乗っかってしまったということになる。江戸学の祖も歴史小説の大家も、ときに間違いを犯すこともある。
■安田清人(やすだ・きよひと)/1968年、福島県生まれ。月刊誌『歴史読本』編集者を経て、現在は編集プロダクション三猿舎代表。共著に『名家老とダメ家老』『世界の宗教 知れば知るほど』『時代考証学ことはじめ』など。BS11『歴史のもしも』の番組構成&司会を務めるなど、歴史に関わる仕事ならなんでもこなす。
※週刊ポスト2013年7月19・26日号