近年は残暑が長期化する傾向にあることから、7月8日に海開きした材木座、由比ヶ浜、腰越の海水浴場はこれまでの8月末ではなく9月8日まで開かれることになった。1884年に保養目的で開設されたこれらの海水浴場は、今年でちょうど130周年。記念事業も予定されている名所だが、鎌倉市がネーミングライツを募集し『鳩サブレー』で知られる株式会社豊島屋がパートナーに決まったため、来夏から名前が変わる予定だ。
海水浴場にまでネーミングライツが募集されていたのかと驚くばかりだが、行政広告に詳しい明治学院大学法学部の川上和久教授によると、いまは多くの自治体が「あらゆるもので募集をかけている」という。
「自治体によるネーミングライツといえば『味の素スタジアム』や『C.C.Lemonホール』(※2011年9月まで)に代表されるような、全国的にも知名度が高い公共施設が対象でした。ですが、今では収益に換えられるならと、山奥にある野外活動教育用の施設など、必ずしも広告としての効果は見込めない場所まで対象にしているのです」
日本で施設のネーミングライツとして最初の事例は、1997年に西武鉄道が所有する東伏見アイスアリーナが「サントリー東伏見アイスアリーナ」(※現在はダイドードリンコアイスアリーナ)だという。公共施設で初めての例は、2003年に東京都が所有する東京スタジアムが「味の素スタジアム」となったのが始まりだ。
「自治体によるネーミングライツも当初は金額が数千万円から億単位の大きなものがほとんどでしたが、その後のデフレ不況の影響もあり、だんだん小さな単位へと縮小しています。最近は歩道橋や道路、トンネルなどで募集をかけている自治体が全国で目立ちますが、それらの建設物は昭和40年代に建設されたもの。いっせいに老朽化して改修しなければならないため、その費用ねん出策として飛びついているのです」(前出・川上教授)
ところが、大阪市では募集をかけた歩道橋125橋のうちJR大阪駅前の1橋しか契約できていない。全国で初めて歩道橋のネーミングライツを取り扱った大阪府は170橋のうち10橋、兵庫県では19橋のうち1橋だけ。愛知県は60橋のうち7橋だ。成約率が高いとは言えないだろう。
人気がないのは歩道橋だけではない。栃木県では2007年から科学館やスタジアムなどでネーミングライツの募集を始めているが、2012年度の売り上げがゼロに終わっている。全国の自治体HPを「ネーミングライツ」で検索すると、募集をしたものの成立していない案件が多数みつかる。
募集数が多すぎるいま、「命名権ドットコム」を運営する株式会社ベイキューブシーの佐藤敦さんによれば、ただ告知するだけでは契約に至らないという。
「一般的な企業の場合、自治体のHPや広報を細かく読むことはないですよね。だから、募集の告知をしたつもりでも、応募してくれそうなところへ届いていないことが多いんです。地元企業へ出向いて詳しく説明したり、応募の呼び掛けをこまめにしているところほど契約できる傾向があります」
行政といえども営業努力が必要ということらしい。それなら、どこの自治体も企業回りをするべきなのかというと、必ずしもそうではないと前出の川上教授は言う。
「価格が低い案件が増えていますから、契約獲得に注力する職員のコストが高くついてしまうケースがあります。職員コストが高くなるということは、住民の税金負担につながる。それに、ネーミングライツで地元の人に愛されている名前が変わると、住民に反発されるだけです。企業も、地域の反感を買うようでは広告メリットはないと判断し、結局、誰も得をしない。ネーミングライツをきっかけに、もっと三者で話し合うべきなんです。
鎌倉市の海水浴場のネーミングライツを購入した豊島屋は『鳩サブレー』にはこだわらず、新しい名前は公募して、100年以上親しまれた名も残したいと言っています。そして、地域住民や自治体とともに海岸の美化活動にも参加している。このように日本におけるネーミングライツは、企業と自治体、住民が一体化し、みんなで手入れして管理する独自の文化が育つ土壌となっていくのではないでしょうか」
40年前、アメリカで食品会社が自治体にNFLスタジアムへ名付ける対価として契約をしたことで始まったと言われるネーミングライツは、お金にまつわる新たな日本の文化を生み出しつつあるようだ。