1981年に住友金属鉱山の株を買い占め200億円の巨額な利益を得た是川銀蔵(これかわ・ぎんぞう 1897~1992)は、1983年に発表された高額納税者番付で全国1位となり、最後の相場師と呼ばれている。同時に、社会福祉事業にも力を入れていた是川銀蔵の足跡を、作家の山藤章一郎氏がめぐり、報告する。
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鹿児島、熊本、宮崎3県の県境近くに〈菱刈〉という鉱山がある。質、量とも世界トップクラスの〈金〉を産出する。埋蔵量180トン、現在の金価格で1兆円。
田んぼと山が広がっている田舎風景の地下200メートルに、100キロにおよぶ坑道がアリの巣状態で這っているという。白い筋となって坑道に露出した金鉱脈を破砕し、鉱石を人の手でひとつひとつ選り分ける。鉱石1トンに40グラムの金がある。世界の平均は数グラム。とてつもなく優秀な金山だといわれるゆえんである。住友金属鉱山の愛媛工場に運んで精錬する。
元は、江戸中期に発見されたヤマである。このヤマに、昭和56(1981)年、是川銀蔵、通称・是銀が現われた。最後の相場師と呼ばれた人物である。前日の9月18日朝、是銀翁は〈日経〉の記事に目を吸い寄せられた。
「鹿児島県菱刈金山に高品位金鉱脈を発見」
記事は、700メートルの間隔で打ち込んだ2本のボーリングが金含有量の優れて高い鉱石を掘り当てたとある。さらに金脈の上と下にある〈母岩〉が四万十層につながっていると推測していた。
84歳の胸は動悸に搏(う)たれた。
四万十層は、宮崎県青島のせんたく岩の地層で、四国の四万十川から九州南端まで続いている。翁は即座に確信した。不規則にたまたまそこに金鉱脈があったのではない。「広範囲にわたり(金脈は)続いている」(『相場師一代』小学館文庫)
だが翌日、伊丹からすっ飛んで行った現場事務所ははぐらかす。
「これ以上掘っても、採算ベースに乗らない鉱脈が続く可能性が高いですよ」
〈菱刈〉を所有する住友金属鉱山の前日の株価は226円。投資戦術の鉄則は『買い出動を迅速に実行する』である。新聞に有望な材料の記事が出た以上、寸刻をあらそう。鉱山事務所の寝言など歯牙にもかけない。信用取引を含めて、買いまくった。1000万株を集めるのに250億円かかった。さらに買った。5000万株になった。年明け、705円でストップ高。
だが、『天井に達する慾に迷ってはいけない』も鉄則である。
「慾に釣られ、勝ちにおごっているうちに相場は引き下げ、利が剥げる」(同文庫)
にも拘わらずそののち、隣接した鉱区を買い、株価の息づまる一進一退に見舞われながら、84歳の半年で200億円を手にした。
問われて答える。
「1日1日、真剣勝負をやっておるんです。自分の努力で運命を開拓していく以外生き残る道はない」「日常の努力と精進」「理論と実践を通じて、思考の訓練を重ねることが成功への確率を増進します」(同文庫)
鉱山の知識も、かねて図書館に通い、独習していたものだった。日本橋〈三越〉に近いマンションに〈日本個人投資家協会〉の一室がある。非営利のNPOである。奥寿夫理事が迎えてくれた。
「是川さんは金鉱山で儲けて長者番付1位になったといわれましたが、税金も200億円払った。そして恵まれない子たちを助ける〈奨学財団〉をつくった。それで遺したのが、奥さんとふたり住まいの2LDKのマンションだけ。質素倹約、無駄遣いを嫌がり、いつも古びた鞄で。
没後21年。国はいま、いくら増税してもどうにもならない財政の危険水域に達しています。アベさんはイチかバチかの賭けに打って出た。一方投資家は、破綻への進行に薄々気づいているのに、いまのうちに小金を稼ごう、いまなら楽に儲かると走っている。
退職金で株。そこから勉強してももう遅いのです。是川さんでさえ、30年毎日勉強し、80になってやっと損を出さなくなった。原油、金価格、為替、金利……全部、数字でつながっています。是川さんはそれを朝から晩まで読み解こうとした。
証券会社は個人投資家を、いくら殺してもウジかハエみたいに湧いてくる『湧きもん』と呼び、『消費者元気で無知がいい』と侮っている。こんな証券会社や数字に勝つには勉強の努力しかない。是川さんはそれを重ねた。そして最後はきれいさっぱり裸になった。勝負師といわれた男の見事な生涯です。いまの人は株で儲けてアクセサリーや新車を買いたい、その程度なのですか。
同じ株式に身を投ずるにしても、ついこの前まで是川さんのような、大志と無私を併せ持つ日本人がいた。われわれも爪のアカほどでも見習うべきですね」
※週刊ポスト2013年7月19・26日号