ラストスパートの参院選で憲法改正の是非が焦点になるなど、国民の暮らしや安全を支える法令の中身については議論が尽きない。
しかし、もっと身近な共同体に目を転ずれば、「市民がつくるまちの憲法」といわれる地方自治体の「条例」が溢れかえっていることに驚くはずだ。それも、気付かないうちに議会で制定され、施行後に賛否が問われることも珍しくない。
今年4月に兵庫県小野市が施行した「福祉給付制度適正化条例」もそのひとつ。市民が、パチンコや競馬などギャンブルに浪費する生活保護受給者を見つけたら、市へ通報するという内容である。
これには「監視社会を招く」「受給者の個人情報が漏れる」と批判が相次いだ。小野市の蓬莱務市長は「監視ではなく見守り。地域の絆を深め、受給者の自立した生活を支援するため」と説明したが、後味の悪さだけが残った。
ジャーナリストで元読売新聞社会部記者の大谷昭宏氏も「理解に苦しむ」と話す。
「小野市の人口は約5万人で生活保護受給者はたった120世帯。不正受給の率もさして高くないのに、5万人が120世帯を見張るなんて社会は異常としかいいようがありません。こんな条例をつくる行政の発想自体が極めて貧困だと思います」
小野市のケースは、良かれ悪しかれ生活保護制度の“盲点”を浮き彫りにした点で、それなりの意義はあったのかもしれない。だが、他の自治体では「こんなルールが本当に必要なのか」と議論するのもバカらしい条例がごまんとある。
例えば、カラスや野良猫の餌やりを禁止した条例(奈良市ほか)があったり、屋台の営業は「原則一代限り」(福岡市)に決められていたり、最近では地元の日本酒で乾杯を勧める“乾杯条例”(佐賀県や石川県白山市など)なるものまで登場している。
さらに、条例化を求める声として挙がっているのは、素人の冬山登山規制、サバイバルゲーム禁止、手投げ弾(っぽい)物の所持禁止、自転車のヘルメット着用義務、海水浴場の全面禁煙、歩きスマホ禁止……、とにかく何でもかんでも条例で規制しようとする風潮がある。
前出の大谷氏は全国的に条例化が進む「路上喫煙(歩きたばこ)禁止条例」を例に、こんな見解を述べる。
「たばこだろうがゴミくずだろうが、ポイ捨てしてはいけないことぐらい誰でも分かっている。そんなものは法令で取り締まるべきではなく、マナーを守ろうという人間性の問題。喫煙自体の有無とはまったく関係ないのに、なぜたばこに限定して条例化する必要があるのでしょうか。
余計なお世話の規制が横行している背景には教育の劣化が大きい。例えば、柵のない危ない川で遊ぶ子供にいくら注意しても聞かないから、親が学校に行って『あの川で遊んではいけない』という規則をつくってもらうような時代。だから、規則やルールがなければ自分で善悪の判断もできなくなってしまうのです」
日々の行動パターンを細かく明文化したルールで雁字搦めにすれば、かえって国民の反発を招いて息苦しさが増していく。特に自治体の条例にはそんな“お節介”が目立つと大谷氏は憤る。
「成熟した民主主義国家としてみっともない話ですよね。でも、例えば東京の渋谷区民が区議会でどんな条例が作られようとしているかなんて知りもしない。ましてや区長の名前や区議会の開催時期も分からない。そんな無関心さがバカみたいな条例をどんどん作り出しているのです。
本来、条例制定までには自治体がパブリックコメントを出したり住民アンケートを実施したり手順を踏むもの。それらを疎かにさせないためにも、いま一度、条例の一つひとつの必要性について、すべての住民がきちんと精査して声を挙げるべきです」(大谷氏)
誰のためのルールなのか。仮に一部の不届き者のためだけの条例ならば、それは単なる税金の無駄遣い。ゆくゆくは自分の懐に跳ね返ってくるのである。