ノンフィクション作家の島村菜津さん(49才)は、昨年、乳がんのため、乳房全摘手術を行った。早期発見(0期)なら10年生存率が95%と高い乳がんは、手術後に“サバイバー”が数多く誕生している。命が助かったからこそ、その後に発生する悩みがある。
とりわけ、女性ならではの、結婚や妊娠・出産についての悩みは切実で、だからこそ本音の情報を求めている。以下は、島村さんの報告だ。
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早期発見によって生存率も高まる乳がんだが、その治療法は、ステージ(病期)に即したパターン化したものから、女性の年齢やライフスタイルに寄り添った多様なものに変化しつつある。
こと、日本で最近、注目されている若年性乳がん(35才未満)は恋愛や結婚、出産といった人生の一大イベントに、大きな波紋を投げかける。29才で乳がんが発覚した松さや香さんも、また例外ではなかった。
松さんには、7年つきあっていた彼がいた。献身的に看病してくれ、手術の入院時にも、こっそり寝袋を持参で病室に付き添ってくれた。
「でも、抗がん剤の影響で抜け落ちた坊主頭を見られたくなくて。それに抗がん剤やホルモン剤の影響は、粘膜にも出るから性交痛もひどい。セックスから気持ちは遠ざかってしまった。朝、起き抜けに鼻血を流す姿を見られるのもイヤで、相手を次第に遠ざけてしまった」(松さん)
そんななか、互いの気持ちにすれ違いが起こっていたことに、松さんは気づかなかった。会社で闘病をめぐって揉めた時、「そんな会社、行くことない。ぼくが面倒をみるから」と言ってくれた彼の優しさにホロリときて、結婚の約束もした。
ところが3か月後、ふたりでの楽しいハワイ旅行から戻ると、ある女性から1通のメールが舞い込んだ。相手は1年ほど前から彼とつき合っている、彼を自由にしてほしいと訴えていた。
「ものすごいショックでした。もちろん、“別れよう”となった。でも、今までのつき合いや治療を支えてくれたことを思うと、なかなか互いに離れられない」(松さん)
しかし、時間をかけて修復も試みたが、ダメだった。
「乳がんの治療にかかる時間は短くない。いつまでかかるのか、そう感じていたのは、彼も同じだったと思う。頑張りすぎて“支え疲れ”を起こしたんだなと、今ならわかる。
だからって、浮気はやっぱりダメだけど(笑い)」(松さん)。松さんは、その後、若年性乳がんの患者会「ピンクリング・エクステンド」の代表になった。患者には、恋愛に出産、悩ましい問題が山積みだ。
「以前、34才で再発した会員さんが、余命宣告を受けた後、職場に復帰した。本当に励まされます。みんな、患者は自分のことを面倒くさい存在だと思い込んでいるんですよね。
でも、話をするうちに、もやもやしていたことが俯瞰できるようになる。悩みの輪郭が見える。“みんなも同じように思っていたんだ”と冷静にもなる。するとマイナスに感じていたことが、新たな自身の価値になるような経験に変わる。話した後、顔つきが変わるのがわかります」(松さん)
今や、松さんも髪が伸び、悩まされた濃いシミも消え、生き生きとしている。会社を辞め、パリや台湾に留学もした。
乳がんになっていちばん困ったのは、「今後のロールモデルのなさ。治療中のセックスや仕事のこと、本音を伝えてくれる情報が驚くほどない。泣いていてもどうしようもないわけだし、だったら社会復帰のこと、結婚のこと、いくらかかって、どう働くのか、お涙ちょうだいではなく、具体的な情報が欲しい」と松さんは訴える。
今、国内では15人に1人が乳がんになるという。ならば、この病を取り巻く報道も、がん=死といった悲劇のドキュメンタリーなどではなく、もう少し具体性と実用性を持つべきなのだろう。
“死と向き合う”病を体験して私が切望するのは、日本でも、病や死をめぐる社会の意識と理解が、さまざまな議論とともに深まっていくことである。
※女性セブン2013年8月1日号