【書評】『宅間守 精神鑑定書』岡江晃/亜紀書房/2520円
【評者】香山リカ(精神科医)
2001年6月、大阪教育大附属池田小で宅間守なる男性に8人の児童が刺殺されたおぞましい事件は、彼の死刑が執行されて約9年がたった今でも、私たちの脳裏から消えない。宅間には精神科での治療歴があり、その責任能力の有無を明らかにするために専門家による精神鑑定が行われた。公開が原則、禁じられている鑑定書をそのまま出版したのが本書だ。結論を記すと、鑑定書は犯行への責任能力に関して「十分にあり」としている。
その上で一般の読者が気になるのは、「宅間の診断名」だろう。その点について精神科医らは、「幼児期からの特異な心理的発達障害」「虚言癖、自己中心性が目立ち共感性を持てない、人格の障害・情性欠如」「強い猜疑心、嫉妬などを特徴とする妄想反応」という3つをあげている。
しかし、これらはいずれも彼の起こしたあまりに特異な犯行を説明する決め手になる診断名とは言えない。ただ、かつて少年刑務所から父に送った手紙を見ても、彼自身、そのような自分を持て余していたことがうかがわれる。
「屈折している面、一本抜けている所、不安定な部分、精神病者と境界線にいる所等、全て自覚しております」。青年になった宅間は4人の女性との結婚、離婚訴訟、借金や詐欺、精神科病院への入退院を繰り返した。事件から2年前には、7歳年上の兄が頸部を切って自殺している。
犯行直前には、無気力状態に陥って自殺を思いたつが未遂に終わる。そのとき彼の頭に「誰かを殺したろう」との考えが浮かび、それから殺人を空想すると「モリモリーと元気がでて」となったという。しかし、ただの空想と実行との間には大きな乖離があり、それは鑑定では埋め尽くせていない。一般の読者は納得できないだろう。
著者は本書の出版の目的のひとつに「専門家による診断の妥当性の検討」をあげているが、それ以外にも考えなければならない「なぜ」はまだ山のようにある。本書を素材に多くの解説が生まれることを期待したい。
※週刊ポスト2013年8月2日号