1971年7月9日、キッシンジャー米大統領補佐官(当時)の秘密訪中は世界史を劇的に変えた事件として世界を驚かせた。キッシンジャー氏は翌年2月のニクソン大統領の電撃訪中のお膳立てをするため、わずか2日間の北京滞在中、周恩来首相とは17時間も会談しているが、毛沢東主席とは会談していない。その理由を42年後にキッシンジャー氏が初めて明かした。
キッシンジャー氏は今年7月3日、上海を訪問し、江沢民・元国家主席と会談、これまで会った5人の最高指導者についての思い出を語った。その際、キッシンジャー氏は1971年7月の最初の訪中で、毛沢東主席と会談していなかったことに言及した。江氏からその理由を尋ねられると、キッシンジャー氏は次のように答えた。
「なぜならば、ニクソン大統領が中国の最高指導者である毛沢東主席と会う最初の米国政府指導者になりたかったことを私はよく分かっていたからだ」
しかし、実はキッシンジャー氏も毛主席と最初に会った米政府高官という栄誉を手に入れたいという思いが強かったという。
「北京滞在中、私が毛沢東主席との会談を希望すれば、中国側は受け入れることが分かっていた。しかし、私が望まなければ、中国側も敢えて毛主席と会わせるということをしないだろうということも知っていた」とキッシンジャー氏は語ったうえで、「もし、私が毛主席と会ったとして、どうなるだろうかと考えてみた」と述べた後で一拍置いて、そのチャンスを捨てたわけについて、次のように述懐した。
「私がワシントンに帰り、ニクソン大統領と会ったとき、大統領がその栄誉を奪われた不愉快さで、私を怒鳴りつけるのではないか。私は、本当は毛主席に会いたいという強烈な願望を抱いていたが、後のことを考えて、必死になって、その欲望を抑えたのだ」
つまり、キッシンジャー氏が毛主席との会談を言い出さなかったのは、ニクソン大統領の「男の嫉妬」を恐れたからだった。
仮に、キッシンジャー氏が毛主席と会っていたとしたら、ニクソン大統領は嫉妬のあまり、キッシンジャー氏を疎んじ、翌年2月のニクソン大統領の電撃訪中は実現しなかったかもしれず、その後の世界の歴史の流れが大きく変わっていた可能性もある。
自身の欲望を抑えることができないような人物ならば、大きな仕事はできないことをこのエピソードは物語っているといえそうだ。