アンジェリーナ・ジョリーが乳房切除・再建手術を告白するなど注目を集める乳がん。 29歳で乳がんであることが明らかになり、そこから治るまでの6年間を綴った書『彼女失格 恋してるだとか、ガンだとか』(幻冬舎)を上梓した松さや香さん(36)。
同書では苦しいだけの治療生活ではなく、結婚直前の彼との関係がどう変化したかや、仕事仲間のサポート、治療費の実態など、若くして乳がんにかかった女性に降りかかる数々の現実的かつ容赦ない状況が描かれている。決して楽ではない6年間ではあったが、松さんは「若年性乳がんは“死病”ではない。私がこれから生きていくことで証明していきたい」と語る。
――29歳で乳がんを宣告され、その時に感じたことは?
松:私自身、当時はまったく知識がなくて、丸腰で話を聞きました。告知時、私の中でもイメージは、「がん」と言われたら「死」でしかありませんでした。それは皆さんが考えているイメージと同じではないでしょうか。しかも、29歳というのは相当若いです。一般的な意識として「若い=進行が速い」というものもありましたが、私も同様に思っていました。「もう生き永らえるのは、難しいんだな」とさえ感じていました。
さらに、父が末期の肝臓がんで亡くなった直後で、その病床を見ていたので、「がん=死」はすぐに想像ができてしまったのです。でも告知後、検査や診察が続く中で、情報はアップロードされていき、決して1~2年で死ぬ状況ではないことや、きちんと治療をすれば5~6年で治せることが医師の説明や資料を見ることで徐々に理解できました。
――周囲の人にはその頃どう伝えたのか?
松:当初、父が亡くなって1年経っていなかったので、家族には言えませんでした。母と妹が動揺しますから。私は長女なので、我慢するのに慣れていました。悩みやしんどさを昔から吐露するのがなかなか下手でした。母と妹にしてみては、「がん」と聞いた場合、心に浮かぶのは父の姿と私の死のはずだと思うと、それこそ言えず、半年近く逡巡しました。
家族には言わなかったものの当時付き合っていた彼には、がんであることを打ち明けました。誰にも言わないなんてわけには自分の心情的にも無理でした。でも、彼が「さや香ががんで、死ぬかもしれないなんて……」とあまりに動揺してしまったので、私自身はあまり涙を流して不安だということをぶちまけることもできませんでした。むしろ、「きっと大丈夫だから!」と彼を励ましていたくらいです。
がんに対しては、自分が当事者にならなかった場合は皆同様のリテラシーしかないと思います。ただ、医師の説明に加え色々と情報収集をしていくことで、きちんと治療をすれば命までは取られないことを理解できたので、職場には早めに共有しました。
――なぜ職場には早めに報告したのか?
松:当時正社員に登用された直後で、未経験のがん治療と仕事の両立をするには職場の協力が不可欠だと思ったからです。まずは当時所属していた雑誌編集部の編集長に報告し、そこから部長へ。そして自分の口から部署の全員に話しました。そんな時、「治療をしなくてはいけないので仕事ができない」と言うのではなく、「できることできちんと役に立ちたいので、協力してほしい」というスタンスの方がいいと思います。
だって私は編集の仕事をしたかったですし、なにより生きたいから。若さを過信してがん保険や入院保険の類にも入っていなかったので、仕事を続けること=治療を続けることでした。「治療費を稼がないといけないので、仕事を続けたいです。頑張るので皆さん、どうかよろしくお願いします」と伝えました。同世代の女性が多い職場だったので、理解もしてもらいやすかったと思います。
――とはいっても休職扱いにして、給料を3分の2だけもらうなどして、治療に専念する手もあったのでは?
松:今振り返るとそうかもしれませんが、編集者になるという夢をかなえようとしている中、せっかくやりたかった仕事を20代の最後にようやくできるようになったのに、失いたくなかったんです。本当はもっと弱音を吐いたり、甘えたり出来たかもしれませんね。
言葉にすると気持ちの輪郭が明らかになってしまうものです。出来るだけ「不安」と言うことばは出さないようにしました。でも、今思うと周囲から見ていたら不自然に気丈に振る舞う様は、痛々しかったかもしれません。ですが、患部の痛みもなく体が動く状態で家にこもっているよりも、外に出て人に囲まれているのは精神的によかったです。時にはがんのことを忘れるほど仕事が出来たことは「病気をしても社会で役に立てる」と心の支えになりました。結果、職場でも「がんになっても仕事が出来る」という一つのモデルケースになったと上司から言ってもらえ、その選択が出来てよかったと思っています。
――今はどんな状態なのか。
松:告知当初、乳がんは5年で完治という指標を聞いてましたが、現在は「寛解(かんかい)」という、症状が落ち着いて安定した状態と説明されています。海でいったら凪のような状態ですね。最近では完治まで10年の術後観察をしようという向きもあるようです。
要は医療の現場で「絶対」というものはないということです。前述の通り、5年で完治と言われていた時代ではないという考え方の方たちもいますし、がんは一度罹患したら今後ずっと続く「慢性病」と認識しようと言う方たちもいて本当に諸説あります。一概に必ずこう、というものはない。
肺や胃、肝臓がん等は腫瘍を切ったら治療は終わると聞きます。胸、子宮、卵巣のようにホルモンに起因関係のあるがんは、基本的には切ったら終わりではありません。私のように術後5年のホルモン治療が必要で、無治療まで丸6年かかる人もいますし、同じ乳がんでもタイプによっては、手術以外に治療法がない人もいます。がんといっても、十人いたら十通りの治療がある。千差万別だということを伝えたいです。
――今の体調は?
松:私自身はとても元気です。ホルモン治療の経口剤を飲んでいましたが、それも術後5年の今年の1月で終わり、今は非常に元気でやっています。薬の影響で不順気味だった生理もきちんとくるようになり、女性として本来の体に戻りつつあります。
30歳の時に抗がん剤治療をしたのですが、それからの5年はまさに女性としては「空白の5年間」。だから今、私はまだ30歳くらいのままでいるようにも感じます。おこがましいのですが。
――何歳まで生きられる?
松:気の持ちよう次第ですが……。よく「天寿」と言われますよね。それを全うしたいと思っています。米寿まで行くかも。将来いずれ子供を産み、孫も生まれ「私のおばあちゃん、29歳で乳がんになったけど、92歳まで生きたしね」なんて言われて私は死んでいくんじゃないかと漠然と思っています。乳がんはきちんと信頼できる医師と、共有でき協力してくれる仲間が必要。それがあれば治療はきっとうまくいきます。