昨年夏の甲子園大会の22奪三振で全国的注目を集めた桐光学園・松井裕樹(17)の夏が終わった。7月25日、神奈川県大会準々決勝。神奈川が生んだスター、松坂大輔の剛球伝説を引き継ぐはずの男は、奇しくも松坂の母校・横浜高校に2対3で敗れ去ることになった。しかし、横浜戦で見せた“輝き”は、新たな怪物伝説を予感させるものだった。ノンフィクションライターの柳川悠二氏が松井について綴る。(文中敬称略)
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最初に私が松井裕樹という高校生に興味を持ったのは、昨年夏の甲子園期間中だった。ただし、それは1回戦の今治西戦で、1試合(9回)22奪三振という甲子園歴代最多記録を作った話題性によるものではなく、彼と交わしたこんなやりとりについ引き込まれたからだ。松井は当時、試合中の投球練習の第1球目に、必ずスローカーブを投げていた。その目的を問うと、こんな答えが返ってきた。
「リラックス効果があるからです。疲れがあっても、最初にスローカーブを投げると、思いっきり腕が振れるようになるんです」
さらに質問を続けた。三振を取る秘訣は──。
「思いっきり腕を振ること。でも、三振ばかりを狙っているわけじゃありません。打ち取りたい時は、スライダーの球速を5キロ程度遅くして、わざとストライクゾーンに投げてバットに当てさせることも考えています」
かつて松井と同じ質問を投げかけ、まったく同一の回答が返ってきた投手がいた。アメリカに渡る前年(2010年)、北海道日本ハムファイターズに所属していた頃のダルビッシュ有である。
もちろん、高校2年時の松井がダルビッシュと同等だったと論じるつもりはない。だが、小学2年から野球を始め、中学3年時に在籍した青葉緑東シニアで日本一になった松井がこれまで築き上げてきた投球術の節々に、少なからずダルビッシュと通じる部分がある。
それがまず驚異であり、16歳の将来が末恐ろしくもあった。あれから1年が経過し、桐光学園の部長である塩脇政治の証言によって、そういった思いは増した。
「松井はランナーを牽制する際に、わざとボーク気味のきわどい牽制球を投げるんです。審判にボークを取られるようなら修正し、許される範囲で相手走者を刺そうとする。もちろん、拮抗した試合展開でそんなことはしませんが、同じような姿勢はピッチングでも見受けられます。
試合序盤、松井はあえてきわどいコースに投げ分けて、その日の審判のストライクゾーンを知ろうとする。さらにいえば、相手打者の(打撃)ポイントが前にあると判断すると、ワンバウンドさせることもあるんです」
※週刊ポスト2013年8月9日号