山口県周南市金峰の集落で5人が相次いで殺害・自宅を放火された事件で、重要参考人として行方をくらませていた同じ集落に住む男(63歳)が、7月26日に身柄を確保された。
男は1950年、金峰郷に代々住む家の次男として生まれた。
「彼は小さい頃から大人しい人でした」とは前出の雑貨屋店主。男は小学校、中学校とこの集落で育ち、中学卒業とともに上京したという。
地方から集団就職で上京する若者が金の卵と言われていた時代──高度経済成長の波に乗って、男も都会の土建業者を渡り歩いたと見られる。
男は今からおよそ30年前、30代の時にタイル職人として神奈川・川崎の木造アパートに移り住んだ。アパートは、10数年前に取り壊され、一軒屋が建っているが、男のことを覚えている人間はすぐに見つかった。
「彼のこと? 覚えていますよ。うす紫のトヨタ・ハイラックスのピックアップを持っていました。車が大好きで随分といじくっていましたね。髭を生やして、サングラスもかけてガタイもよかったですよ」
当時の男を知る近隣住民が複数いることを考えると、男はこの地域で目立つ存在だったのだろう。
身長180cmを超える男のことを「山男のような印象」と、この近隣住民たちは口々に話した。
同居する家族はいなかったようだが、意外な姿が目撃されている。
「馴染みのスナックがあって、そこのホステスに入れあげていましたね。その女性はアパートによく出入りしていましたよ。普段は仲睦まじそうでしたが、そういえばアパート前で激しく口論してパトカーが来たこともありましたね。随分と怖い人だなと思った記憶があります」(別の住民)
時には近隣住人に牙がむけられることがあったという。
「彼の家の前に車を止めておいたら、『これじゃうちの車は出せないだろう』といきなりぶち切れられてワケがわからなかった」
とある住人は語る。男は郷里から遠く離れた大都会で孤立していたようだ。
※週刊ポスト2013年8月9日号